フルヴェンテプルビアヌのペペル
ラテン語に近い言語を公用語とする温暖な雨の少ない町でした。ヤン・ステーンの『居酒屋の庭』という絵画に雰囲気の近い、陽気な主人が酒を出して下さるバーの隅っこで、毎日働いた後、果物を食べに来るペペルという男がいました。
フルヴェンテプルビアヌ、よく“フルヴェン”と呼ばれるこの街は、大量のフルーツを収穫することで生計を立てる者が多くいました。明確な時代は解っていません。何しろ“異世界”な訳ですから。
我々の調査と推測に依れば、今の協会より±2000の時代を遡るか経たぐらいの時代でしょうか。
この街は農業を営む牧歌的な住民が多いのですが、彼らが食物を上納する帝都では、医療技術の発達が目覚ましく、腕を失ったり、足を失った場合は帝都から医者を呼び、人造の身体パーツを付けて貰うそうです。
中には「酔っ払って川から落ち、片目がつぶれたが、帝都の医者に目を貰った」と自慢してまわる者もいました。彼の目を見せて貰いましたが、片方の目はブラウン(フルヴェンに多い色)、医者に貰った目は深いブルーの色をしていました。
これだけを聞くと未来技術に驚かれる方がいますが、農業に関しては中世を逸脱しておらず、木製の籾摺り機を使っているのです。
ここに転送のもどかしさがあります。「そこまでの身体加工技術があるならば、風車の開発もできるのでは?」と思っても口に出してはなりません。彼らは優れた医療技術は持っているのかもしれませんが、産業技術は発達する必要性がなかったのだろうと推察できます。人が死にかけても医術によって生かすことができるのですから。道にちゃんとした道路と呼べるものは敷かれておらず、エキュイグワと呼ばれる巨大な牛のような見た目の生き物に橇を引かせて、穀物と果物を輸出するのです。
エキュイグワの大きな特徴は夜半ぼんやりと光る蓄光角にあります。それ故に敵に狙われやすいという特性があるのですが、蓄光角を持つエキュイグワは肉にマヒ毒を持っており、自らの血肉を賭して他の生物を逃がすことで生き延びるのです。このマヒ毒の存在が、この世界の医学を発展させた大きな要因だと推測しています。
黙って食われるぐらいですから、気性は穏やかな方で、人を三人乗せて移動できる巨大さがあります。平均3m位でしょうか、ペペルはこのエキュイグワの乗り手且つ守り手で、弩の扱いに長けているとのことでした。
私がペペルの巨大牛に乗せて貰ったのは、フルヴェンテプルビアヌの宗主国に向かう為でした。アウルムセンテヌと呼ばれる帝都は中央に大きな市場がある賑やかな都市でした。現代と確実に違えているのは、市場の中に「人間の体」が売っているのです。
帝都は先程申し上げた通り、医療技術が極度に発達している土地です。市場に売られた手足――義肢ですが、人々はそれを求め、自分の理想にあう形を探し、服を買うように十分で処置、身に着けます。心臓が悪くなれば心臓を入れ替え、筋細胞が衰えれば入れ替え、カラフルな目玉がマカロンのように並んだショーケースもありました。
ペペルはこの市場に近づくことを嫌がるのです。酒場の人間たちは「医者嫌いの変わり者」と笑っていましたが、ペペルのような考えを持つ者も何人か居ます。政治思想の違いのようなものです。
自分の体ではない部分を使うには慣れが必要で、これは処置を受けた人々も変わりないようでした。自分に合わなければまた十分で手足を変え、それでも合わなければまた変え、諦めた時は元の手足に戻す。
私が転生ではなく“転送”にこだわるのも、転生した後の器に慣れる為の訓練が勿体ないからという大きな理由があります。正義の者協会で訓練を受け、身体的にも精神的にもパーフェクトな肉体です。コンプレックスが無い訳ではありませんが、私は協会から褒められたこの肉体と知恵を誇りに思います。皆さんも是非、そうあってください。誇りを守りなさい。協会の者として選ばれたからここにいるのです。
……失礼、少し熱くなってしまいました。話を戻しましょう、市場の帰り際、私はペペルにギルネと呼ばれる金貨三枚のフルーツを渡し、少し仲良くなりました。
フルヴェンテプルビアヌの日給平均が銅貨二十枚、酒場で飲み遊ぶのに一日で使い果たしてしまう金額です。百枚で銀貨一枚、銀貨が百枚で金貨一枚なので、非常な高級品です。これほどまでに高価な理由は、ギルネの実が熟すまで二年という長い月日がかかること、群生している地に“獣”がいることが理由の様子でした。調査については協会側から保留を言い渡され、これ以上ギルネ群生地についての情報はありませんが、三番地帯の協会植物園でギルネ樹木の栽培には成功しているので、興味がある方は行ってみると良いでしょう。
ギルネは赤く中に水分が多量に含まれるため、水物としての需要がありました。ペペルはそれを貪るように飲み、食べ、エキュイグワに分けると気分を良くしたのか、私に少しだけ、この地域の事と自分の事を話してくれるようになりました。地域の事に関しては協会側が調査した情報に勝るものは無かったのですが、彼は私の方を向いて話している時、目と目の間を右の手で、中指と人差し指で押し上げるような仕草をしたのです。
やってみたら皆さんも解るでしょう、眼鏡を掛けている人は特に。ペペルは眼鏡を掛けていません。医学が発達している帝国では視力の悪化を治療することは容易くあります。眼鏡の必要がないのです。それなのにペペルは特徴的な動きをしました。私はこれで、ペペルが「眼鏡を掛けたことがある」と確信したのです。
ペペルについての報告は協会内で議論になりました。転生者の保護は過去例が少ない上に、編成チームが慣れていないと、文明崩壊を起こしかねない惨事に繋がります。人道的ではありませんが、ペペルの記憶を喪失させるという乱暴な意見まで飛び出した次第です。
一番ペペルと接触している私が、彼がどう状況を認知しているのか確認するために動くことになりました。
皆さんならば、もし、転生したと思われる人間の安全を確保しなければならなくなった場合、どうしますか?
無理矢理、安全が担保されている場所、例えば今私たちが講義を行っているこの正義の者協会に連れて来る……、これは確実に相手の安全を担保することができます。我々もそうすることを第一に考えることにしました。
……協会に連れてきた後、生活を拒まれたとしても、記憶を忘却させてから、フルヴェンに戻せばよいのですからね。
私は何枚かの金とギルネを抱えて、ペペルの家に向かいました。太陽が傾きかけた家は薄暗く、窓から差し込む僅かな光だけが頼りでした。
木製の机とその前に置かれたスツールに腰掛けるペペルは私が入って来た事に驚きながらも、受け入れてくれたようでした。
「お話があって来たのです。“眼にかけるもの“の事で」
薄暗い室内であったとしてもペペルが警戒したことは解りました。眼鏡という物を表現する単語について慎重に選んだのですが、それでも彼には何の事を私が言おうとしているのか、理解したようでした。
「――この世界とは別の世界があると言ったら、信じるかい?」
ペペルは私にそう言いました。「信じるよ」と答えた私に、彼は息を吸うと目頭を押さえて話すのです。彼の口から放たれたのは“日本語”でした。
「私は日本という地で生きていた学生です。名前はワダ、ヤタロウ。1960年に生まれました。1978年、4月の、確か5日だと思うのですが、山奈川の帯倉山が揺れ、山から滑落し、気が付いたらここにいました。私はいつからか人々にペペルと呼ばれ、牛に乗り、町と都を行き来する生活をしていたのです。それしかありませんでした。私は、私は本当にワダ、ヤタロウなのでしょうか。それとも、この記憶が私の邪魔をするのでしょうか、わからないのです。助けてほしいのです」
ペペルは私の体に縋り、さめざめと泣きはじめました。私は彼にできる限りの事をすると約束し、一時、フルヴェンテプルビアヌのある異世界から離れました。彼の話が本当か否か、確かめる為です。
山奈川、という地名を皆さんは知らないでしょう。我々が知っているのは神奈川、もしくは隣の山梨です。帯倉山についても、神奈川と山梨の境にいくつかある山の名を組み合わせたような、不可思議な言葉です。
ここで一つ仮説を立てました。彼がやって来た世界というのも“また別の異世界なのではないか”という仮説です。
つまり、我々が「神奈川」「山梨」と呼ぶ世界と、ワダヤタロウが「山奈川」と神奈川、もしくは山梨を呼ぶ世界。そして、ペペルが住むフルヴェンテプルビアヌのある世界。それぞれ別世界なのです。
私たちは山奈川のある世界について調査を急ぎました。時空を移る際には、光の僅かな隙間をアンオブタニウムの粉末を体にまぶすことでトライブします。トライブする、というのはトライボロジー、つまり摩擦力を減らし、光と光の隙間を滑らかに動きやすくすることで別の次元に移動することを言います。アンオブタニウム及び、その粉末の製造方法については魔導錬金学の授業を必ず受講してください。忘れてしまうと、異世界に移動した後、帰る事ができなくなりますからね。
……山奈川と呼ばれる地名のある世界なのですが、探し出すことは難しくありませんでした。この山の手市を中心として、光の境界をずらし、隙間を作り潜り込むのです。山奈川のあった場所は平地になっていて、瓦礫と大量の土砂が堆く積み上がった割れた世界、その上にありました。
私と共にその場所に向かった他の協会員が残された人類を探し、話を聞いたのですが、それによると世界規模で起きた巨大な地震が大地を裂き、運良く空を旅していた人々が津波に呑まれることなく、生存することができたというものでした。壁に彫られた経過日数を測る記録から、時期が約四十年前とのことなので、話にも合います。
この世界に、我々以外の協会員の調査報告書が認められていない為、おそらく“見捨てられた世界”の一つということになります。ワダヤタロウの話を信じるとするならば、彼はこの世界に住んでいて、大規模な世界崩壊に巻き込まれ、意識だけがフルヴェンテプルビアヌに飛んだのです。
我々はこの調査結果をワダヤタロウに伝えることを決めました。その後、彼が元の世界に戻ろうとするのか、今いる世界に残るのか、それとも協会に来るのか、判断を委ねる為です。
ワダは私の話を聞くと、頭を両手で多い、それは痛々しく泣きました。私は彼に「記憶を失う方法がある」と説明すると、彼は頭を縦に振り、頷きつづけるのです。これ以上、元の世界があり続けるという僅かな希望を抱いたまま、生きることが辛かったのだと思います。
記憶忘却には映画を模して作られた、強烈な光を放射することで脳に作用する“記憶忘却装置”を使うか、脳の一部を休眠させることにより、記憶を眠らせる“調合漢方”を使用する方法が使われます。どちらも成功率は九割九部を超しますが、時折に、非常に運の悪い、……人によっては良いと、思う可能性もありますが、そのような方が居られます。その時は別な方法を試すのが良いでしょう。
ワダヤタロウは漢方薬を試すことになりました。彼が生きた時代には強烈な光を発する小型機械は珍しいものだったでしょうから、恐ろしかったのでしょう。漢方のほうが未だ、薬を飲むだけという安心感があったのだと思います。
忘却漢方は氷砂糖、梅、蜂蜜の甘いシロップに忘却魔法の空気を凍らせた特別の氷を混ぜるだけの簡単なものですが、量が多いと全てに作用してしまいます。
調合方法については別冊の『異世界転送“壱”転送前下準備』に書いてありますので、読んでおいてくださいね。緊急時使用する場合は大体……十円玉くらいの大きさを溶かせば効果があると思います。忘却氷を製作した者の魔力が弱ければ、調合量を増やして下さい。協会で準備するものは魔導力の高い者が作った純氷なので、安心して使ってくださいね。
ワダは薬を飲むと涙を流しながらベッドの上に横になりました。訥々と、山奈川に居るという家族について話をしてくれました。父親と母親が居て、どの学校に進学するのか揉め、家を飛び出し、帯倉山に登った。
家出少年の話としてはよくあるエピソードだと思います。それでも、その話は彼にとって重要な人生の一シーンなのです。この講堂に居る一人一人にもそれぞれ人生があって、様々な思いがあって、正義の者協会に入り、仕事を、もしくは、何かに従事するために身を賭しているように、外を歩く協会とは関係の無い人々にも様々な人生があることを忘れてはなりません。穏やかな生活を維持するために、何かが常に犠牲になっていることも。誰かが忘れていたとしても、我々は忘れてはならないのです。
ペペルの息が穏やかになり始めると太陽は完全に落ち、闇が全てを支配しました。薬の効果は眠って起きた後には現れている筈ですが、目を閉じたままでも涙を流す彼が居る事を思えば、ワダヤタロウの記憶を犠牲にして、フルヴェンテプルビアヌ、そして宗主国である帝都は崩壊を免れて存在し続けることになります。
彼の記憶がこの世界にどのような影響を及ぼすことになるのか、それはもう知る由がありません。それで良いのだと、思うしかありません。彼がうっかり自らの記憶を、今後話してしまう事だってあり得るのです。この世界がどのような運命をたどるのかは、刻々と過ぎる日々だけが物語る、それだけです。
ペペルは目を開けると手を握る私の姿を見て驚いた様子でした。「先日のお礼を持ってきたんだ。家を覗き込んだ時、倒れていて驚いたよ」と繕った答えに、彼は頭を掻きながら「働きすぎたかな」と答えるのです。彼の中にもうワダヤタロウは存在していないようでした。任務は成功したことになります。
フルヴェンテプルビアヌのペペルは、我々に一般社会の中にも異世界に転移、もしくは転生してしまう人間がやはり居るのだと認識させてくれる事件であったと思います。妄言、または転生したのではなく、記憶を操作された可能性が完全には否定ができない為、さらなる調査が必要な事例です。
ペペルはその後、エキュイグワ乗りに復帰しました。今日もフルヴェンとアウルムセンテヌを行き来していることでしょう。記憶を忘却させた後の彼は、医者嫌いでは無くなった事が大きな変化となりましたが、彼の住む世界ではそんな事は些細なことであると言わんばかりに日常が過ぎていきました。
講義ですから、最後にまとめをしなければなりません。ペペルの人生、そのほんの一部分だけを皆さんに聞いてもらうためだけに集まって貰った訳ではないのですから。他時空から転生した者を見つけ出すための特徴や、方法、転生した者を如何に発見、確保、認知するのかが、今、そしてこれからの我々の課題となります。
転生したという事を、おそらく多くはひた隠しにするでしょうから、私たちはそこに住まう人々の小さな部分にも目を向けていかなければなりません、私がペペルに着目できたのは、ペペルがその世界では一般的であった高度医療に対する強い拒絶の反応と、集団に紛れ込もうとしない慎重さ、そして、現代ではよく見かけるが、その“空間”では珍しい所作でした。今回は眼鏡を上下させるような癖があったから見抜けた、ということですね。
私は、ワダヤタロウの記憶を失わせることが正しい解決の方法であったとは思いません。技術が進めばより、穏やかな解決が可能になる、そんな未来を期待しています。
今、考えられているのは、崩壊した山奈川のような場所をまた開墾して、人が再度住むことのできる土地にし、そこに転生者を集める……かなり時間がかかりますし、費用もかかりますが、そんな案も出てきています。名案だと思うか、愚策と考えるか、それもいつか皆さんと議論していけたらと考えています。
フルヴェンテプルビアヌのペペルについて、この辺にしておきましょう。
次の講義は、違う世界から“山の手支部”にやって来た人々の話をしましょう。
2019/10/19
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