先生と私


6.知らずミチル作『手』のモデルになりました

 不格好なおにぎりを持つ『手(2019年)』、ミチルさんの個展にお邪魔してその作品を見た時、非常に驚きました。私は右手の親指側の手首に黒子があるのですが、その黒子描かれた不格好なおにぎりを握る手が個展に展示されていたのです。
 以前、ミチルさんがアトリエにやって来た時、おにぎりを戴いた事がありました。彼女はそこでおにぎりを握り食べる一瞬を捉え、絵にしたのです。ホロホロと崩れるおにぎりを支える私の指、米粒が落ちてしまって親指の付け根に一つ残っている瞬間。
 この『手』は多くの人から称賛されていました。私も自分の手がこれほど美しく描かれるとは思いませんでした。おにぎりの大きさと手の大きさ、構図の関係で現実よりも大きく小さくはあるでしょうが、ミチルさんの目から見た私の手とおにぎりが正しいのですから、これで良いのです。
 その個展会場には先生も呼ばれ、共に向かったのですが、いつもミチルさんに軽口を叩く先生が、会場に到着してから『手』を眺めた途端、静かになったのです。
 先生は悪いものは「悪い」とハッキリ言います。良いものは「良い」ともハッキリ言います。ただ、今回の『手』に関しては何も言わなかったのです。

 先生が『手』に関する感想を素直に吐露したのは、アトリエという自分の城に帰ってからでした。扉を開き、先生が中に入るまで待ち、玄関の扉を閉め、振り返った私の服を掴んで「悔しい」と言ったのです。
 ミチルさんにお伝えしたいのですが、先生もミチルさんの事を一人の画家としてライバルとして見ているようでした。いまいち素直になれず、血がつながっているのにも関わらず、様々にエスカレートしてしまうのが親であり且つ、年上で、成長する若者に恐怖を抱くシニア故の頭の固さが招いているものと考えれば僅かであろうとも先生に同情できます。
 頼れる人はだんだんと年下になっていき、先生の周りで頼れる年上は剛毅で磊落な鳳先生くらいなものです。その鳳先生も今年七十五になられました。
 もう一人、先生に頼れる人がいるとするなら私の父ですが、父に頼るなら私を頼るでしょう。しかし、私は未だ三十代に入ったばかりの業界では若造で、社交面で頼りがありません。恐らく、先生が困り、私も困ったときは「しっかりしなさい!」と叱責されながら鬼島ライム先生と、玉手君、そして娘のミチルさんに縋ることになるのだと思います。
 私の服を掴み、頭を首元に押し当てる先生だったのですが、顔を放すと私を見上げ、「描かせろ」と言ったのです。
 先生が私をモデルにする事はこれまでありませんでした。人物を描くことはありますが、お金を払って雇った本職のモデルの方である事が多いです。その方が映えますし、自分の魅せ方を常に研究なされている人の方が、ポーズの幅が広いですし、同じポーズを数十分、長くて数時間し続けるのは辛いものがあります。
 私はアトリエで窓の外を見るように言われました。青空に浮かぶ雲を眺め、先生が私を描写するシャ、サッ、ザリという音を耳にしながら窓の外を眺め続けます。疲れる仕事ですが、自分で自分の横顔を眺めることなんて滅多にないのでどのような作品に仕上がるのか、楽しみではありました。
 昼過ぎの僅かに傾いた太陽が赤い色に落ち、完全に沈み、灯りを必要とするまで作業は続きました。
 日光とライトでは光の当たり方と影の傾きに差があります。先生はその日の作業をそこで止め、私もモデルから解放されました。
「先生」
「ん……」
「素描を見ても良いですか?」
「ダメ」
 珍しいことに、先生は素描を見せてくれませんでした。いつもならばどんな作業工程であったとしても、見学させてもらえるのに。
 先生は絵の完成に一か月かけました。これは珍しいことで、速筆な先生にしては時間をかけた……かけ過ぎた方です。想定外の事態(一度、重い風邪を患い、納品を先延ばして貰った事がありました)が起こらない限りは全て間に合わせてきた先生が、寝る間を惜しんで描き続けたのは初めてでした。
 しかもその絵は「完成した」と言わず、「納得するまでは描いた」という言い方をしたのです。
 先生が描いた自分の絵を見るのは、妙な緊張がありました。先生の作品ですから、一定のクオリティを超え、売りに出せばどんな絵でも値段が付きます。
 それでも、完成していないと言うのですから、モデルが悪かったと言わざるを得ません。私の不甲斐ないポージングで華山魁というブランドに傷をつけてしまってはならないことだぞ、そう思いながらキャンバスを覗き込みました。
 そこには光を眺め、いつもより目を細める私が存在していました。呼びかけたら「はい」と言いそうな、少し猫背ながらも、そのポーズを保ち続ける為に、緊張している私の姿があったのです。
 先生はこの画の何に納得していないのかわかりません。私はこれで十分だと思います。この画は誰が見ても私です。日比野輝という人物はどのような容姿ですかと言われてこの画を見せ、私がその画を見た人の前に現れたら、貴方があの日比野さんですね、と、言われるでしょう。
 私が素直にその感想を伝えても、先生は唇に手を当て、なぞりながらじぃと絵の中の私を睨み続けていました。

 先生はその後、もう一枚私の絵を描きました。それが次の作品展に展示されることになった『珈琲を淹れる助手』です。先生が初めて描いた私の絵よりも、珈琲を淹れながら薄ら笑いを浮かべる私の口元から、腰元にあるお湯を注がれるマグカップまでが描かれています。
 この画は朝の穏やかな感じがよく伝わる温かな画だと思います。先生が物足りなく感じた「マネキンのような私の画」ではなく、「生きている私の一瞬」を描ききったのです。
 先生は珈琲を飲みながら、また「悔しい」と言いました。おにぎりを大事そうに握る私の手という、温かな感情をすぐ描けたミチルさんに対する嫉妬の一言でした。

 最初に描かれた私の絵は、アトリエの隅に置かれています。
 いつか先生がこの画を世に出すと決意する日まで、暫くお待ち戴けたらと思います。

2019/09/11

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