先生と私

5.仕事をボイコットすることになりました

 芸術協会内で起こったアシスタントに対する不当なハラスメント問題に関して私も他人事とは思えず、仕事をボイコットすることになりました。
 先生の仕事を手伝うことはなく、私は余暇を満喫することになったのです。
 私がこれから何をしようかぼんやりと考えて朝飯作りを放棄していると、お腹を空かせた先生から一時間でヘルプが入ったためボイコットを終了しました。前々回の記事を書いた後、鬼島ライム先生から連絡があり、「日和見主義のヘタレ男!」と辛辣な言葉を掛けられたことを思い出します。
 芸術協会に対しては鳳先生と華山先生含む芸術界に多大なる貢献をしてきた方々が時間を費やして改善していくことになりそうです。

 ……将来の芸術界を率いる若き皆様に対してお願いがあるのですが、私が書いた記事について華山先生に対して質問をぶつける事案が多発しており、華山先生が私の記事に対して興味を持ち始めています。記事を多く読んでいる方なら解ると思うのですが、大それたことは書かれていない上に、先生の名誉にかかわる部分もありますのでどうかお控え頂きたい。
 と、この様な場所で訴えるべく準備を進めていたのですが、華山先生よりもインターネットに明るい鳳先生が、私の記事ついて伝えてしまったらしく、華山先生が私に気付かれない内に過去の記事について読んでしまったようなのです。印刷されたA4サイズの紙が寝室に置かれていたのですから、間違いはありません。
 紙を読んだ次の日、先生は仕事を中断し、私に一日くれてやることに決めた様でした。リビングに座り。先生が飲み干した珈琲のマグカップを洗う私を、イスに座ったまま顎に手を当て眺めていたのです。
「今日は休みにするのですか?」
「まあ、うん」
 そうですか、と私が告げ、洗い終わった食器を下げ、メールの確認をしようとパソコンに向かった時、先生は私の腕を掴み「お前も休め」と命令したのです。

 先生が私に休みを与えたのは協会内で起こった、ハラスメントに対する抗議運動を受けたものがありそうでした。先生の耳にも「あの人の助手が辞めた」「この人の助手が辞めた」と話が聞こえて来ましたし、先日の個展ではミチルさんがやって来て、
「困ったら私の所に来てね」
 と言われたので思う処あったのでしょう。
 突然降って湧いた休みの日なのですが、先生は不可思議な方なので、休むと言いながら仕事をします。矛盾しているように聞こえると思うのですが、先生は常に絵を描いていないと死んでしまうマグロのような方なので休む為に絵を描くのです。簡単な素描をし、絵具を選び、色を載せていく。私はその間、何をしていたかといえば“ソワソワ“としていました。
 休めと言われたのですが、先生が絵を描き始めたのを見て、仕事をしたいというスイッチが入りました。メールを確認し、冬に行われる作品展のパンフレット草案に目を通そうとした時、「休めと言っただろう」と止められるのです。
 横では休みながら仕事する先生がいるのに、私は休みながら仕事をさせて貰えない矛盾がありました。一体全体どういうことなのだ? と脳が「理不尽!」と叫び、先生に対して文句を叫んでいます。仕事をさせない事もハラスメントになりますよ先生!
 私は居心地悪い中、コッソリ仕事をすることにしました。草案に目を通し、作品製作依頼のメールを確認(ネットサーフィンをしている振りをしました)、画材の買い出しに行けないため(今思えばこれはおかしい、外に出かけて買い物に行くのもまた休日の楽しみであるはずなのに)、取り置きの予約をネットから行い、玉手君に渡すための原稿を書いています。
 カチャカチャと文字を打つと先生にばれてしまうため、つまらなそうに画面を見ている振りをしながら、ポチポチと一文字一文字打っていくのです。私は大柄で、背を丸めないとつまらなそうに見えない為、ストレスが溜まりますし、腰も悪くします。
「先生」
「ん」
「仕事をしたいのですが」
 私の申し出に先生は筆を置き、深い深いため息を吐きました。まるで私が休日を取り、休むことが下手くそな馬鹿者と言わんばかりに。
 先生、非常に言い辛いので私はここで文書として記すのですが、先生は休日の与え方が下手すぎます。そもそも、日常生活で必要な家事能力が誰よりもポンコツであるのに、私しか雇わずにいるのが間違いなのです。もう一人アシスタントが居れば、私の仕事も楽になるのではないかと思います。この日常生活やらなければならないことは、先生だけではなく、私にも影響します。
 例えば洗濯物。今日は非常に良い天気で、外に洗濯物を干せば、明日の私が心地よい服を着ることができます。しかし、私が洗濯という仕事をしなかったらどうなるのかという事について考えを巡らせて下さい。私も先生もべたべたした汚い服しか着ることができず、衛生度が下がります。着るものが整わないとストレスが溜まります。ストレスが溜まると仕事に集中ができなくなり、お金が入らなくなります。お金が入らなくなると私も先生も死ぬのです。
 そう考えますと、私の仕事は二人の命を繋いでいることになります。確実に私の仕事は私を助けているのですから、生命の為に仕事を行いたいと思います。イスから立ち、「休憩を終了します!」と私は宣言するといつもより気合を入れて洗濯物を洗濯機の中に放り込みました。

 最初のボイコットの話に戻りますが、私が知る芸術家の助手業にある者はこの「偉大なる芸術に貢献してきている先生の命を握っている」と言う状態に苦悩しています。一日二日仕事場を離れ、お土産を持ってニコニコ顔で帰った瞬間に積み上げられた仕事の山に絶望するのです。
 自分が「よかれ」と思って持って帰ったお土産の山ですら、仕事の上に積み上げられます。お土産のカラを捨てるのは結局我々なのです。
 こうした仕事に疲れるアシスタントは先生の仕事を一人でしている場合が多いです。異性であればその方は「夫」「妻」となり、先生が死んだ時に遺産として多くの作品とお金を抱えることができます。最近はパートナーシップ制度なるものもあるそうですが、それを結んでしまった場合は病める時も健やかなるときも先生の世話をしなければならなくなりますので、益々仕事が増えるばかりではないかと想像しています。
 それでも私たちが先生のお世話をするのは、結局先生の作品が、芸術が好きだからなのだと思います。私は自分に理不尽な命令をする先生を嫌いになり切ることができません。
 ですから、仕事をボイコットし、業界から去った多くの者は、「好きだったものを嫌いになる勇気を持った者」であることを私達は真摯に受け止めねばなりません。好きな物を敢えて見ないようにしている人々が増えれば、それは私達の命の問題にも繋がってくるのですから。

 故に、今だからこそ、仕事をボイコットしたり休んだりしている場合ではありません。先生には沢山の作品を作り続け、お金を稼ぎ、これからの作家に対する投資をして貰うと同時に、私に給料を払い、使いやすい洗濯機や掃除機やパソコンを買ってもらわなければ困るのです。
 最近よく出回っている自動掃除機が部屋の中を十個動き回ってくれると掃除が楽なのではないかと想像したのですが、その自動掃除機も部屋の扉をあけっぱなしにしておくと外に出て行って迷子になると話に聞きましたので、技術進歩に期待するばかりです。そういった物への投資のためにも先生に絵を描いていただくため、私は本日も仕事をしています。

2019/09/04

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