先生と私

4.会話とは難しきかな

 10月1日~15日の間に行われた華山魁展でウェルカムドリンクとして用意されていたシャンパンに関してなのですが、1973年は10月3日で切れ、1982年ものも10月11日時点で終了してしまい、11日午後から2015年ものに変更になってしまった事をここにお詫び申し上げます。
 時間帯によっては「ウェルカムドリンクを受け取れなかった」という話も聞いております。私共の予想を超える来場となり、見通しが甘かったことを認め、次このような事態が起こらぬよう、一同反省してまいります。
 この度は、まことに申し訳ございませんでした。
 また、10月13日、展示会に訪れたミチルさんとの喧嘩の末、警備が呼ばれ、展示を静かにご覧になっていた皆様に再びご迷惑を掛けた事をお詫び申し上げます。予定されていた「おはなしの会」なのですが、ギャラリー明道の厚意あって、10月24日と25日、行われることになりました。
 詳細についてはまた後日、ギャラリー明道公式ホームページ上に掲載されると思います。

 前回の話を記した後、私は先生としっかり話をしてみるべきだと思いまして、朝の「おはようございます」から私と先生がどんな会話をしているのか、意識してみることにしたのです。
 朝八時頃、私は先生に「おはようございます」と言いながら珈琲を出します。
「ん」
 私がミルク入りの珈琲を出したら「ん」と言うのはいつもの会話です。意味としては「おはよう」と「珈琲どうも」の二つが混ざり合った「ん」の感嘆詞でしょう。その日、最初の会話でした。
 その後、次のおはなしの会に関する話と、鳳先生から依頼された次の画に関する話と、その日出した朝食が美味しいのか質問したのです。
 答えを書きます。最初の質問は「ん」、次の質問は「うん」、最後の質問は「ん? うん」で終了しました。
 すべて感嘆詞です。これは会話なのか私が先生を黙って見ると、先生も私の視線に気が付いたのか「何」といいました。「なに」です。指示代名詞。
 私は思い切って先生に言ってみました。私が先生としている“会話”についての疑問です。
「私は今、玉手君のホームページサイトに記事を書かせて貰っているのですが」
「うん」
「私は先生と、余り話らしい話をしていないような気がするのです」
「うん?」
 最後の「うん」には疑問符が付いていました。先生は飲んでいた珈琲入ったマグカップを置き、私をじぃと見ます。そうしてから目を泳がせ、眉根を深く寄せるのです。
 私と先生の間には気まずい沈黙が訪れました。先生は恐らく頭の中にある会話の引き出しを開け、私は先生が何を話すのか待つ。朝のニュース番組は次の話題に移り、時間だけが静かに過ぎました。
「九時になりましたので、私は画材を買いに行ってきますね」
 いつもと違う会話をしてしまったが故に、気まずさを感じたのは私もなのです。逃げるように空間を後にしました。
 席を立つ私を、先生はどう思いながら見ていたのかわかりません。ただ、少し悲しそうな表情であったと記憶しています。私が上着を取り「行って参ります」と告げた時、先生は顎に生えた無精髭を撫でながら、じっと飲みかけの珈琲を眺めていたようでした。
 電車に揺られながら私は少し先生を思いました。私は常に先生と行動を共にすることが多いため、大きな刺激のようなものは確かにありません。それは良いものではないと思います。私にとっても先生にとっても。
 華山先生の展覧会に来ていた末孝頭彦先生がアシスタントとして働く私を見て、最近助手が居なくなったと話していました。長く勤め続けた稀有なアシスタントが自分の前を去り、仕事に支障が出ていると。
 でも今なら少し思います。他の仕事はどうなのか、今の環境が恵まれていたとしても、新しい刺激を探してしまうのです。

 その日、画材店には大量に並べられた絵具を前にしてメモ帳を見ながら、困惑した表情を浮かべる若い女性が居りました。店員を探しているのか周りを見渡し、誰も居ないと解ると涙ぐんで困り続ける姿に、何か手助けできないかと、思わず声を掛けました。
「店員ではありませんが、何かお探しですか? この店をよく利用するので、お手伝いできるかもしれません」
 彼女は私に小さく希望を見たようでした。頭二つ小さな女性が持っていたメモを見ると、生産終了したメーカーの絵具を求めているようでした。
「この絵具メーカーは一年前に生産を終了していますね」
「そ、そうなんですか? どこを探しても見つからなくて……」
「生産終了して残り在庫が少ないメーカーの商品は隅の方に置かれることが多いのです。おそらく……あ、ありましたよ」
 彼女は私に礼を言うと、買い物籠の中にありったけの絵具を詰め込みました。
 彼女がその絵具を何に使うのか、そもそも彼女が使うのか、私には知る由がありませんが、選ばれた絵具は幸せだろうと思われます。

 電車に乗り来た道を戻りながら、店であった出来事を伝えるにはどうすれば良いのか頭の中で考えを巡らせていました。
「少し肌寒い秋の日、仕事で立ち寄った画材店で出会った大学生か高校生の若い女性が探していた絵具を見つけてあげました」
 ……面白くないなと、我ながら思います。至って普通の出来事を至って普通に話すのですから、面白い筈がありません。
 ふと、先生についても思うのです。先生は常に仕事場に籠って、画を描き続け、画が完成した時やっとその画について話をすることができる……。
 あるテレビ番組でピアニストのLouis Bertz氏がドイツ留学中、言葉の通じない日向春人氏に「ピアノで会話した」と話をしているのを聞いたことがあるのですが、先生もそうなのかもしれません。
 先生の場合は画を使って会話しているのです。それが先生の言葉で、近くに居る私はその言葉を最初に間近で聞くことになるので、言葉だけで会話する必要性を感じなかったのかもしれません。

 何かお話して下さい。と頼み込んだのは酷だったと電車に揺られながら後悔し始めました。帰った時、先生に何を言うべきだろうか、頭の中でクルクルと言葉を探し、一駅乗り過ごしてしまったのです。
 
 先生の仕事場は玄関を開け、リビングの扉を開けなければ中が見えない為、「ただいま戻りました」の言葉はリビングルームの扉を開ける時に言う場合が多いです。私はいつものようにその言葉を言いながらリビングの扉を開けて驚きました。
 先生はぼんやりとマグカップを眺めた状態のまま、動いて居なかったのです。私が「戻りました」と声を掛けたことで、ようやく時間を思い出したのか、再び動き出し、冷めてしまったカップに触れていました。
「先生、二時間近く経っていますよ」
「え?」
 これまた感嘆詞でした。先生は私の一言でやっとカップが冷たい事に気が付いたのか、不思議そうに底を覗き込んでいました。
「底を覗き込んでもなにもありませんよ」
 トンチンカンな行動が妙に可笑しくて、電車の中で考えていた会話の中身がピョンとどこかに吹き飛んでしまったものですから、私は暫く可笑しくて笑い続けてしまいました。

 先生にどうしてずっとマグカップを眺めていたか聞いた時、自分がそれほど会話上手でないことを気にしているとポツリポツリ話してくれたのです。どうでもよい会話と相手を執拗に攻撃する時は饒舌になれるのですが、好きな人と会話する時は何を話せばよいのか考え、思考している内につい会話を任せてしまうと。
「ユキトに指摘された」
 ユキトは私の父です。先生が父に対して少なからず想いを寄せていたことについては以前書きましたが、その頃から会話については一定の悩みがあったそうです。
「お前の母親、お喋りだろ」
「そうですね。よく話す方です」
「うん」
 先生が冷たくなった珈琲を飲み下すのを見て、私はある事を思いました。私の両親の馴れ初めなのですが、とある展覧会で絵を眺めていた父にお喋りな母が話しかけたのが切欠なのだそうです。父は絵を描いた人物が同窓で、どんな時に描かれていたのか解説してあげたのだそうです。
 それから数日、女性は父が出品した展覧会に遊びに来ます。親し気に話を続ける父と女性を見て、華山先生はある画を描きます。
 それが『舞踏会とケーキと焼き魚(1988年)』です。この画を初めて見た人は、「何故華やかな舞踏会が開かれ、美味しそうなケーキが並ぶ場所に似つかわしくない和風皿の上に載せられたおいしそうな焼き魚があるのか」、疑問に思います。先生の画力によって描かれた焼き魚は油染みて、単品では非常に美味しそうな代物なのですが、周りにあるのはクリームたっぷりのケーキの群群で、美味しい筈の焼き魚がとても不味く見えます。
 この画の話は私の父から聞きました。画をツマミに盛り上がる父と後に私の母となる女性を見て、自分は華やかな場所に似合わない「朝の焼き鮭のような気分だった」らしい、と、苦笑いしながら話していました。
 先生が見事に描き上げた焼き魚は、それ単品では魅力ある写実画であるのですが、その魅力をかき消すケーキと、似つかわしくない場所の舞踏会に囲まれ、惨めで孤独な気持ちを表した不思議な画が生まれたのです。

 その日、先生は続けていた作業を行う事を止め、新しい作品を製作しました。『冷めた珈琲』と名付けられたその作品は次の展覧会で展示されることになりました。会話下手な先生の苦悩を現した、ミルク混じりでありながら苦々しい珈琲の悲しさを感じて頂けたらと思います。

2019/09/04

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