南へ! 1
もし、貴方がどこかに逃げるとする。北か南、好きな方を選んでくださって結構。どこにいく。極寒の寒い地域か、南の温かなリゾート地、選びましたね?
「なんで南に行くかな」
ふっざけんじゃねぇと汗ばむ肌を撫でてハンカチを絞った。北の国にある正義の者協会支部から命令を受けて俺たちは南下していた。夏彦の住む山の手よりさらに下の地域。四月にはもう海開きできるほど暖かい。凍え死ぬぞ。そんなこと、北の国でやってみろ。
生まれも育ちも北の国である俺は南下するおぞましさを夏の字入る甥に愚痴った。「ご愁傷」という一行メールが返ってきた。それから改行の後、「海ぶどう食べたいです クリキ」とお土産を期待するメッセージがあった。
お土産は経費ですか? と質問をしたら「どうだと思う?」と逆に問われ、引っ込んだのが昨日。
「お前は体温が低くていいよな」
同行する相棒の手のひらを首に当てつつ、フェリーに乗り込む。やや、緊張している気がする。彼は泳げない。
「難破することはありませんよね?」
「船酔いの方が心配だよ」
酔い止めは飲んだ。豪華旅行だと言われた割に船はそれなりな気がする。一番最後に乗り込んだ俺たちを船員が招いた。個室があった。
いくらかかるんだろう。
庶民は金の心配ばかりする。ユウマは室内をぐるりと見回した。ベッドが一つしかないのが気になるが、まぁいいや。いざとなったらソファーに寝りゃいいし。
「甲板に人が居るかもしれませんね」
ユウマはいつもの白いシャツを捲り上げて第二ボタンまで外していた。汗が出ないのが人では無い感じを強調している。俺は、さっきから汗だくで、大学の卒業旅行に納得していないという設定を自分で作り上げていた。その辺は、どうしてこの船に乗り込んだのか理由を打ち合わせしなくてはならなかった。俺はそういう感じで行くからと、大学の卒業旅行設定を持ち出したところ、
「男二人で、卒業旅行行きますか?」
と、常識を余り知らない筈の男に問い返された。
「それは偏見ってやつだよ。偏見だよ。男二人で遊園地いけるよ」
「そうですか……」
「だぁから俺はあつーい地域やだったんだよー!」
大声を上げて部屋を出た。演技は始まっている。
俺は怒る振りをしながら甲板に出た。いや、半分本当に怒っているんだが。
ギラギラ照り付ける太陽が肌を焼く。俺は日蔭になるところに移動しながら風を浴びた。
船は青い海を切って真っ直ぐ島に進んでいる。目的地は南の島のリゾート地、その名も零限島。“れいげんとう”と読むらしい。まるで夜の夢がずっと続いているような錯覚を覚えるから零限島。それに俺が適役だというのだ。トラブル引き寄せるから。
ユウマは俺をなだめる振りをしながらどんな人が乗っているのか確認している。悟られずに背中に目を移動できる彼の役目だ。あちーあちー。適当にやり取りしていると、スーツを着込んだ老紳士が俺の隣に来た。彼は瑞名と名乗った。
「まぁまぁ、折角のご旅行でしょう?」
「折角だからこそ、静かに過ごしたかったんです。できれば露西亜の方で」
「それはまぁ、暑さは真逆ですな。どちらから?」
「北の国です」
「北の国? 先月そちらに行きましたよ」
え、マジで? 俺は瑞名の話に食いついた。北の国で開かれていた美術展に行った話、お土産の話、お菓子の話とそこそこ盛り上がった。紳士はユウマにも話を聞く、貴方も北の国から? ええ。と彼が頷くと、紳士は目を細めた。そうですか、いいですなぁ。
貴方、瑞名は品のある女性に呼ばれると失礼、お邪魔しました。と断り去って行った。楽しい旅行になるといいですな。と。俺は紳士に話しかけられたことで機嫌を直した振り。ユウマは俺に耳打つ。
「誤解されてます」
「ん?」
「僕ら……カップルなのでは……?」
零限島に一組のゲイカップルが上陸した。我儘言う恋人の為に金を出す金持ちのボンボンがユウマに与えられた適役だと認める。俺は我儘言う“男”の恋人である。ユウマはキャリーバッグを持ち俺の後ろを追って来る。ホテルまでの道を俺以上に我儘そうな女性が男性に連れられて歩いていた。俺たちは誰がこのホテルに居るのか確認するために途中で「あれはどこ」「これはどこ」と確認して歩く。
「用意してなかったの?!」とキレる役目が俺である。本当なら女性がやる。ホテルに向かう人々はそんなやり取り繰り返す俺たちをじろじろ眺めてから通り過ぎるので、顔の確認が楽だった。男で良かったとちょっと思った。俺たちが記録できないことは手に持った本が記録してくれる。文字だけど。
零限ホテル、嫌な名前だが、立派な場所だった。規模としては大きく無いが、高級感にあふれている。一泊おいくら? なんて下品に聞いてみたくなるが、今はボンボンに金をださせているんだから、俺が心配することは何もない。ユウマが受付を済ませる間。ロビーから海を眺めた。風景が素敵だ。
「ねぇ」
若い女性たちが俺に話しかけてきた。
「彼とどこで知り合ったの?」
彼女たちの目が期待に充ちている。
「あー……、ナンパされた」
「ええー! ナンパなの?」
「そう、お茶でもどうですかって」
こういう女性の反応は新鮮だ。黄色い声に包まれて俺も饒舌になる。無い事無い事組み合わせて話す。ユウマが部屋の鍵を持って俺を迎えに来た時。彼女たちはニコニコ笑っていた。首を傾げる彼の腕を引っ張ってエレベーターに乗り込む。俺達とあと数人居た。
「何を話していたんです?」
「いろいろ」
適当にはぐらかした。
部屋について先ず行ったことは……本の確認だった。俺が何を話したのか、自分でも確認しなければいけない。本は聞いたこと、見たことをしっかり書き込んでいた。
――清介は適当に出会いの物語をでっち上げた。北の国の駅前を歩いていたところ、偶然通りかかった彼が清介を見、「一緒にお茶でもどうですか」と声を掛けた。その頃の自分は髪の毛を伸ばしており、女性のように見えることがあったという。彼も最初は勘違いしていたようだが、己が男であると知っても尚、「それでも共にいてくれるか」とプロポーズしたのが今回の旅行の切っ掛けとなった。彼女たちは「いい話ねー」と盛り上がる。すべて虚構であるのに。清介は質問し返した。みなさんはどうしてこちらに? 彼女たちは「ケイが言ったからー」と一人の女性を指さす。黄色い服を着た茶色い髪の女性だった。パンフレットで見て、綺麗だったんだもん。とケイ入った。ユイとミクも同意したでしょ、ユリは嫌がったけど。でも来てみたらいい場所ね。ユリは言う。そこに鍵を持った『夫』が帰ってきた。――。
「うん、よし。俺とお前は……『ふうふ』かこれ?」
設定上、入籍できない新婚夫夫に格上げされている。プロポーズしてるし。ありゃりゃあ。ちょっと脚色しすぎたかも。ユウマは口がうますぎた俺に呆れつつも、それならそれを生かしましょう。と提案するのだった。
言うは楽だけどさ、どう生かすんだよ。
そうだな、先ず……、手を繋いでラウンジに行く。
ラウンジは今昼飯の真っ最中だった。適当な場所に着席して島の風景と海を眺め、ウェイターを待つ。俺は本を読む振りをしながら通り過ぎていった人々の会話を本が記録しているか確認した。
船から降りた辺りから始まる。
――二人は船を降りたようだった。キャリーバッグに入れられた私は角を箱にぶつける。彼らは私を『固定』するという脳が無かったらしい。清介は数歩歩いて、「本は?」と聞いた。カチャカチャと音がして、私を入れていたキャリーバッグの蓋が開かれた。外は鬱蒼とした緑に囲まれ、海が澄んでいた。私を持つ清介の手は汗で滲んでおり、ここが北の国よりも暑い場所であると知った。清介は私を抱え、また数歩歩いて、地図が無いと言った。ユウマはキャリーバッグから地図を探す振りをしながら、彼らの横を歩く人を観察している。なるほど、彼らは人を確認したかったのだ。降り口からなかなか進まない二人を不思議そうに人々は眺め歩いていく。一人が小さな声で「重い」と呟いた――。
重い。一見して重そうな荷物を持っていた人は見当たらなかった。相当な荷物はホテルの従業員に任せるし、キャリーバッグを持っていたのは俺達ぐらいだ。俺達は本の事があったから、最初から最後まで自分でやると言う事を貫いたのだが……。
カバンらしいカバンを持っていた人を思い出す。俺に話しかけてきた老紳士と、女性客たち。彼女たちは皆自分の鞄をそれぞれ持っていたなぁ。
俺は本を過去に遡り、島にやってきた目的について書かれたページまで戻した。目的は北の国から密輸されようとしている霊性の確保と、犯人の捕縛である。霊性ってのは、所謂、雪の精霊みたいな。目に見えそうで見えないもの。それらは警察で保護できないから、正義の味方の出番である。こんな暖かい地域に北の国の精霊が解放されてみろ、俺は寒い場所が好きだが、全国がそうなってしまうのは困る。
「なぁ」
「はい」
ユウマは目を開けた。ラウンジに居る人々を観察していたに違いなかった。
「重そうなカバンを持っていた人って覚えてるか?」
小さな声で言った。ユウマは記憶を巡らせると女性客と老紳士を示した。やっぱりそうか。
「その中の誰かかなぁ?」
俺の問いかけには本が答えた。――私は知らない。
本を傍らに置き、適当に食事を取りながら今日の事について話し合った。霊性ってなんだろうから始まって、集めてどうするんだろう。密輸ってことは売るのかな等。
「北の国に霊性があるってことは、ここにも霊性があるってことだよな」
「そうなりますね」
「霊性同士が集まったらどうなる? 相乗効果でより暑くなるとか、寒くなるとか」
「困りますね」
「それとも、暑さ寒さの概念が無くなって、穏やかになるとか」
「それも困りますね」
「真面目に答えろよ。どうなると思う」
「想像したことがありませんでした」
「想像してみろよ、温かな地方の霊性と寒い地方の霊性」
「島の半分が凍り、島の半分が灼熱と化すというのはどうでしょう」
「棲み分けるのか……」
それはおもしろそうだと考えてしまった。ボンヤリ食べていたものだから、口の端にソースをつけたままだったらしい。ユウマの指が俺の口に触れてそれを拭い落とした。
「そうならないよう頑張りましょう」
「おう」
それを阻止するのが俺たちの役目だ。危ない危ない。
部屋で気になることがある。
「ベッドが一つなんですけど」
「いつもの事ではありませんか?」
「そうなんですけどぉ」
ぽふん。とベッドに飛び込んで感触を確かめる。スプリングが弾む、いいベッドだ。
「不満ですか?」
ユウマが隣に飛び込んでも余裕のあるベッド。大きい。
「不満じゃないです。気持ちいいです」
ころころと転がってみた。おそらく、二度とこんなホテルには泊まれないだろう。
「ゼリー!」
はい。と返事をすると彼は体を溶かし、程よい弾力感で俺を包み込んだ。
これもいいかな。その中でコロコロ転がってみる。転がるたびにぶよんぶよんとゼリーが中にある異物、つまり俺を元の位置に戻そうとする。クスクスと笑い声が聞こえた。
「寝そう」
「北の国から急いで南下しましたからね」
「うん」
寝ても大丈夫ですよ。布団がそう言った。じゃあ、お言葉に甘えて。目を閉じる。額に何か、温かなものが落ちた。耳を何かが舐めている。後で本を読もう。そう思って忘れた。
2015/06/13
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