雌雄

 正義の者協会、北の国支部に生きる本を見せに行った翌日の事、ネットニュースに清見ケ丘のホームレスが集団自殺したニュースが載った。俺は、それがこの本を持ってきてしまったが故に起きた悲劇ではないかと思う。彼らはこの本を介して他人の生活を垣間見ることで生きることを感じていたのかもしれない。そんな事、今更思っても仕方がないのだが。
「昨日の晩御飯は」
 ユウマは本に話しかけている。本は昨日の晩飯をこう表現した。「豚肉とネギを炒めた、いわゆる男飯である」と、メニューに名前はない。当然である。
 今は「穏やか」だと言えた。当分の生活は保障された、バイトを探す必要もない。今は未だ給与が出ていないので生活は豊かと言えないが、今月までの辛抱だ。給与が出たら、美味しいものを食べる。……前に、船代と、夏彦への借金も返さなきゃ。少し憂鬱になった。
 充電していたスマホの着信音が鳴り、俺とユウマはそれに顔を向ける。スマホは指伸ばした先ぎりぎりにあった。ベッドの上に居た俺はスマホを取ろうとして落ちた。大丈夫ですか? の言葉を無視して電話に出る。明るい声が響いた。
『月見ー』
「おー」
 相手は三島幸人だった。バイトが一緒で気が合う奴ではあったが、友達だと言えたが、女癖はかなり悪かった。バイト先で二股かけて店長に叱られ辞めて以来だ。
「久しぶり」
 そんな言葉しか出てこない自分が憎くある。三島は「へへへ」と笑って、「今日、そっちに行っていい?」と言った。俺、引っ越したんだよ。と答えたら「知ってる」と返ってきた。
『麻衣子ちゃんに聞いたんだ。イケメンと住んでるって』
 俺、お前がホモだとおもわなかったよォ。違う、違う。否定しなくても。違うって。
『俺さ、今、彼女と住んでるんだけど、追い出されてさ』
「へー」
『今日一日だけ、頼んでもらえないかな。この通り!』
 当然電話の向こうで頭を下げられても見ることはできない。俺は――、俺は久しぶりに電話を掛けてきた友人会いたくなった。今は未だ四月、北の国は場所によってマイナス気温になるところもある。野垂れ死なれても困る。仕方ねぇなと言う俺に電話向こうの三島は陽気に返事をした。ひゃっほう!
『マジ? 助かるー。お前の家って清見ケ丘駅だよな?』
「あー、俺の家、近くに清見ケ丘駅と、清見ケ丘“前”駅があって、俺の家により近い方は清見ケ丘前駅なんだけど、清見ケ丘駅から降りても清見ケ丘駅前から降りても、あんまり変わりないから。付いたら電話してどっちか教えてくれたらどっちかにいく」
『めんどくさいな。お前の住処』
 俺もそう思う。なんでこんな駅名つけたんだと偉い人に文句言うべきだろう。電話を切って、ユウマに「友達来るから、泊まるから、電話来たらちょっと駅まで行ってくるから」と断りを入れた。彼の反応は薄い。
 電話は早かった。まさか、ついてたんじゃ……?
「じゃあ、行って来る――」
 俺が言い終わるまで、ユウマは外に出ていた。留守番を頼んだつもりなんだけど、彼も行くと言う事なのだろう。彼は本を持っていた。俺が持つべき本だ。
「……荷物になっから」
 持ちたくないと暗に断ると彼は自分の体に本を飲み込ませた――いや、爪の先にうっすらと、本の表紙に描かれていた唐草の模様が見える。彼は、彼は自分の爪に本を忍ばせたのだ。すべてを記録させるために。歩く記録機だ。
 便利だねぇ。褒め言葉じゃない。俺はこれから友人と会うのだから。

 三島は「清見ケ丘駅」前にいた。俺が彼に片手を上げると、奴も片手を上げ俺に答える。後ろにいるユウマに気付いた三島は「兄さんイケメンだね」と軽く声を掛け、ユウマが移動しないことに戸惑った。俺は彼に説明する。
「俺の、同居人」
「え? うそ、マジで? イケメンなんてもんじゃないだろこれ。異邦人だよ」
 三島はおそらく、『異星人』だと言いたかったのだと思う。異邦人では外国人の事だ。強ち間違いではないが。
 三島は明るく「三島幸人、二十三歳です!」と自己紹介した。ユウマはただ黙ってそれを見ている。こういうノリを体験したことがないのだろう。
「こ、コイツは栗木ユウマ」
「栗木です」
 紹介してようやくユウマが声を発した。ノリ悪いぞ、ユウちゃん! 三島は肘でユウマを小突く。その時、三島はユウマの指に唐草模様のネイルがされていることに気付いたらしい。
「ユウちゃん、ネイルしてるの? おしゃれさんだねー」
「……」
 ユウマの手を取り観察する三島を眺めているユウマ。緑色の瞳を携えた彼は顔に仮面を張り付けた。仮面と言うのは一種の比喩だが、美しい表情をつくり、それを崩そうとしないのだ。相手に自分の感情を見せない顔と言えばいいだろうか。一緒に部屋に居ると感じる人間臭さを封じたと言えばいいのか。
 三島がユウマから手を離すと「よし、今日は月見の奢りだ!」と叫びながら勝手に歩き出す。俺は三島を追い、ユウマは俺を追う。
 気のまま歩く三島は旨そうな焼肉屋の看板に目をやるとそこに入って行った。「よっ、大将!」と知りもしないのに挨拶する。適当な場所に腰掛けてセットメニューを注文した。
「おい! 俺、引っ越したばかりで金が――」
「まぁまぁ、固い事いうなってェ。ユウちゃんも食べたいよなぁ。焼肉」
「こいつは甘党だよ!」
「うわぁ、スイーツ男子なのかぁ」
 肉が来るまで、三島は水の入ったコップを振り回しながら付き合っていた彼女の愚痴や、大学の愚痴、最近の女がどうのと話し始める。俺が「トイレ」と言う名のコンビニで金を下ろす作業中に、勝手に酒まで注文したらしい。焼酎の瓶、二人の前にコップ二つ並び、三島はスマホの画面をユウマに見せていた。
「月見、言ってくれよ」
「は?」
 戻ってきた途端に話を振られて困る。
「ユウちゃん、どれも好みじゃないって言うんだよ」
「はァ?」
 三島はスマホを俺に向けた。そして俺は冷や汗を掻いた。公共では見せられない服を着てないお姉さんが男の人と絡み合っているパッケージである。基本、どれも胸が大きいのは三島の好みだが、俺はそういう話を彼としたことは無かった。冷や汗掻いたのは、彼が人ではないと知っているからで、もしかしたら、好みとかそういう何かを超越して、性欲なんて無いと思っていたのかもしれない。
「三島、そういうのはさ」
「ユウちゃんはどんな子が好みなワケ? もしかして貧乳派?」
 ユウマは酒か水に手を伸ばし飲んだ。スマートフォンの画面に触れて適当に動かしている。指先で触れて、つぃと動かす仕草は暇な時俺が適当なサイトを見ているときに行う所作だと気付いた。弾くような指の動きに癖があるのだ。
 いくつか眺めて、ユウマは眉を寄せた。
「楽しくないですね」
「ええ?」
「画面を眺めるより、目の前にした方が楽しいですから」
「うわー、嫌味。ねぇ、ユウちゃん、どんな人と付き合ってきたの?」
 それは俺も興味があった。思い出してようやく席に着く。彼はまた一口、水物を飲む。
「髪の黒い、綺麗な女性で」
「ほう」
「くびれが細くて」
「ほうほう」
「腰をひねる時が、何よりも美しいと思いました」
「うわぁーいいねぇいいねぇ!」
 俺の頭の中で美男美女が絡み合っている姿が見えた。だけど、なんだかそれは人工的で、エロいというより、綺麗というか――。
「月見は未だ童貞?」
 きれいに絡み合っていた彼の姿が一瞬にして霧散した。
「イイエ」
「否定が棒だなぁ。ユウちゃん。聞いてよ、コイツな」
「お前が支払うんだな?」
「やだなぁ、月見くぅん。冗談だよぉ」
 ユウマの顔に張り付いていた仮面が一瞬剥がれた。俺が彼の事に興味があったように、彼も俺の事に興味があったらしい。やめてくれ、アレは、アレは……忘れたい出来事なんだよ。

 俺は三島が話をしてしまう前に酔い潰す方向へシフトした。酒の注文を速め、三島のグラスに注いでいく。柄が悪くなり始めると、彼の瞳が半開きになり、だんだんふらふらし始める。店員が迷惑そうにこちらを見始めた頃、俺はユウマと共に三島を抱え、会計して家に戻る。足先を引きずられ、三島が履いてきたきれいな革の靴先がボロボロになった。
 少し、溜飲が下がった。
 靴を脱がし、床の上に転がしておけばいいや。適当にタオルケットでもかけて。
 そうしてようやくため息を吐いた。三島のいびきが響いている。
「何があったのですか?」
 ユウマの仮面が取れた。ベッドの上に座る俺の隣に腰掛け、何があったのか質問する。
「何が、って、何が?」
「彼が話しかけたことです」
「……何もないよ、うん。何もない」
「気になります」
 やや軽く小首を傾げた。聞きたいと言わないけど言っている。仕方ないな、聞いたら満足するんだろ、と数年前に痴漢に遭ったことを告白した。その頃の俺は髪の毛をもう少し長く伸ばしていて、後ろ姿が女の子みたいだったと告白された。もちろん、鉄道警察に突き出した……三島が。
 その話をバイト先で広められてしまい、かわいいなと思っていた後輩の女の子に「月見さん、女子みたいですもんね」と暗に「お前は男じゃない」と言われてしまったのだ。落ち込んだ俺に、三島はゲラゲラと笑い貶した事、忘れてはいない。
「痴漢とは?」
 気になっていたのはそっちだったのね。
「痴漢っつーのは……、ホラ、あの、電車の中とかで、女の子のお尻とか触る卑劣な奴だよ」
「こんなふうに?」
 ユウマの手が俺の尻に触れた。驚愕する俺に、「ふふふ」と笑いながら抱き付くコーヒーゼリー、コーヒーゼリーになったのは腕で、ぐにょぐにょの腕が俺の体をホールドしている。顔の部分が肩に近づいて、酒臭い息に気付いた。
 ああ、マジで甘党だったのか。
 かろうじて形を保っていたコーヒーゼリーはドロドロに溶け落ちて俺の体の上に落ちた。ベッドの上に広がる真っ黒な水溜りの上に彼の来ていた服、そして生きた本が残された。俺はそれを拾い上げてページを捲る。コンビニに行っている間の出来事がつらつらと書かれていた。
 ――、三島と言う男がユウマに聞いた。月見と何故共に暮らしているのかと言うことを。その質問をユウマは適当にはぐらかしたが、三島は納得していないようだった。しつこく女が居る場合はどうしているのかそればかり聞いている。どさくさに紛れて彼は酒を注文した。コップが二つ並び、私の視界には『辛口』と書かれた酒の瓶が置かれる。三島はそれを持つとユウマの前に置いたコップに注いだ。ユウマは警戒しながらもそれを含む。一口、二口、一気に煽ると三島は叫んで、尚、彼に酒を注ぐ。三島はそうしてから、彼に携帯の画面を見せた。「どの子が好み? 今度合コンしようよ」ユウマは何も答えない。三島はページを捲る――
 知らなかったが、ずいぶんと飲まされていたらしい。
 ドロドロに溶けた液体に指を這わすと液体が一極に集中して人型のユウマを作り上げた。
「ずいぶん飲んでたんだな」
「ふわふわします――」
 ふぅと息を吐いて髪の毛を掻き上げる仕草に色香があった。服が脱げてしまったので裸である。作り物かどうか確かめるため、白い肌に触れて感触を確かめる。人の肌の感触だ。いや、彼は自分を作り上げているのだ。作り物かどうか確かめるのはおかしい。
「なんでしょう」
 俺は自分の変な行動を誤魔化す為質問した。
「お前、さ、女の人になれるの?」
 質問に彼は逡巡した。暫く考えた後、「やってみます」と体の形を作り上げる。顔が少しふくよかになり、首から肩のがっしりとしたラインが丸みを帯びた。胸が膨らみ、腰が細くくびれた。太ももから足にかけて美しい曲線が出来上がる。パッチリと開いた目には化粧が施され、唇は赤い。伸ばした髪の毛が黒く染まった。
 美しい、俺が見た中で一番、きれいな女性だ。
 とてもきれいだ。
 ただ、
 ただ、あってはいけないものが残っていた。
「……」
「どうでしょう」
 声色は僅かに低い。笑みを浮かべる赤い唇が美しい。
「違う」
「……違いますか?」
「うん。その、男の……」
 象徴が残っている。胸から腹にかけて完璧なのだ。尻のラインと太もももばっちりなのに、ソレが残っている。大きな違和、遺伝子学における女性にはあり得ないもの。
 彼は不安そうに俺を見た。俺は自分のスマホを操作して彼に女性の裸を見せてみる。が、当然ながら、その多くは局部にモザイクがかかっていて、はっきりと形を捕えられない。
 ユウマは真剣に画面を眺めていた。ディスプレイを動かし、「あっ」と声を上げる。
「でも、この方は“ついています”よ」
「うん、それは、そういう性だから……」
 ちょっと複雑なんだよ。女性なんだけど、女性じゃないというか。もういいや。
「悪かったよ。戻って」
 諦めた。だが、彼は意地になったらしい。形を変えようとして、伸びたり、縮んだり。そう言う事じゃないんだけど……。
「んー……、あのさ、女の人と、ヤったんじゃないの?」
 女性形のままユウマは首を傾げる。
「その、性的な、交渉というか」
 何を真面目に言ってるんだバーカ。恥ずかしい。ああ恥ずかしい。だが、ユウマも恥ずかしそうだった。やった事が無い訳ではないらしい。ないらしい……。
 黒髪、腰のくびれ、綺麗な女性。
 ちょうど目の前にいるようなさ……。
「……自分で?」
 チークのせいじゃない、真っ赤になった。目が泳いだ。そうなのか。自分でそういうことできるんだ。なるほど。俺は感動を覚えた。コイツは、形が不確定であったとしても「雄」であることは判明しているんだ。だが、雌の形を見たことがなかったんだ。だから形が作れなかったんだ。成るほど。
「ど、どうやって処理してたの?!」
 興味本位の質問だった。
「く」
「く?」
「く、ちで……」
 真っ赤になった彼(今は形として彼女だが)はふるふると震えると泣き出した。興味本位で追いつめすぎたことに慌てた俺は彼を慰める。誰しもそう言う事はするから! おかしくないから! 慰めになってんのか? 泣かないで! 零時近いのにパニックである。
 黒い髪の毛に手を入れてわしゃわしゃと掻いた。ぎゅうと抱きしめて信愛を表した。肩を撫でて落ち着かせた。いびきは止んでいた。床の上で起き上がった三島が俺と、俺に肌を擦られる綺麗な女性を見て飛び出した。
「裏切り者ーーッ!」
 誤解を解くつもりはなかった。

 ユウマはようやく涙を収めてくれた。安堵する。彼は彼女から形を戻すといつものユウマに戻った。なんだか安心する。これこそ『彼』って感じがする。ただ見慣れたのだろう。
 ユウマは頬を流れる涙を拭うと体を溶かした。寝る準備に入るのだ。なんだか眠る気になれず、「いいよ」と断ってしまった。数日、あのゼリーのような物体に包まれて寝るのが常態化していたから、それが、どうにも彼とくっつきすぎていると言う事を意識していなかった。たぶん、どこかで彼が生き物じゃないんだと思っていたのだと思う。
 でも実際は、彼だって知らないことがあるし、彼だってできないことがあるのだ。そういえば、泳げないとも言っていた。よく考えるとできないことはそれなりに多い。
「寝ないのですか?」
「寝るよ。未だ寝ないだけ」
「そうですか」
 煙草を取り出した。口に含んで火をつける。空に溶ける煙。
 ぬうと黒い液体が俺の体を包む。正体は判明しているが、無視した。液体は形を作り、それは白い人の肌になった。俺の肩に乗るユウマの頭、唇が首にあって、動脈を噛まれるような不安。口が開いて、首は噛まれた。動脈は無事。
 何の真似か、聞かない。心臓の音が聞こえたらその意味を知れるかもしれない。
 静かだったら俺を殺したいと思ってて、跳ねてたら、好きなのかなぁ。
「一緒に寝てくれませんか?」
「煙草吸ったらね」
 なんでそんな事聞いたんだろう。
 なんであんなことしたんだろう?

2015/05/30

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