行け山の手市!
アラームの音、ではなく、着信で目が覚めた。のそのそと起き上がる俺に合わせて彼も起きる。そろそろ、床で寝るのは限界かもしれない。体が痛い。スマホ画面をタップして、珍しく向こうからかけてきたことに驚きながら通話する。もしもしと言った俺に電話向こうで甥は「何をしでかした」と言う。なにも、しでかしてないけど。
「突然何? 三万円はもうちょっと待って」
『お前の電話番号について質問された』
「は? ああ、俺の電話番号? だれに?」
電話向こうで暫く沈黙があった。コホンと一つ咳払い。
『父さんが勤めてた会社だよ』
甥、俺の従姉妹の夫、名前はまことだったと思う。俺は彼が好きだった。物知りで、なんだか飄々としていて、彼はしかめっつらしてばかりの親戚を笑わせる才能があった。元々は商家のお家に住んでいて、父の父がからくり好きだと言っていた。彼は祖父のからくりをみて育った。物を作る事を好んだ彼は研究者になったんだ。と話していた。
息子の夏彦にも才能があった。小学校に入学する前から壊れた家電ぐらいは直せた。ある時、俺のステレオコンポから音が出なくなり、困り果てていると、彼は隣にやってきた。俺より不器用な手で、コンポのシールづまりに気付いてみせたのだ。細いピンセットでこの辺にシールが付着するはずだ、とつまんで取ってみせた。
あの時はただ純粋に喜んでいたが、あの頃からいろいろと差があったのだと今になって思う。
風の噂に夏彦は父と同じ会社に就職したと聞いた。やっぱり才があったんだろう。
『“セイ”さん。あのな? セイさんの電話番号について聞かれたってことは、セイさんの番号で父さんの――、会社に電話をかけられたってことだぞ。理解してるか?』
「ああ、うん、うーん」
そうかぁ、なるほど。俺の番号が。
『心当たりとかあるか?』
「あるよ」
『……あるのならいいけど。深く聞かないよ。どうせ“また”面倒なことだろうから』
「“また”? またってどういうことだよ」
『セイさんは昔からそうじゃないか。親戚一同集まった時に限ってトラブル起こす』
そうだったかなぁ? 電話の向こうで夏彦が笑った。鼻で。
『ハン。それだけ、じゃあな。三万返せよ』
「きびしいなー」
最後の言葉は聞かずに電話が切れた。俺は隣にいる彼を見た。正座して澄ました顔を崩さない。おはようございます。なんて、爽やかに言ったって駄目だ。
俺は奴と文字通り膝を付け合せた。昨日、どこに電話した。とその情報だけを問う。夏彦の父親の会社、夏彦もそこに勤めている。そこに電話をかけたのはコイツだ。
「電話が来たんだ」
「はい」
「俺の甥だ。優秀で、ある会社に勤めてるって言ってた。訂正、言ってたわけじゃない。聞いた。でも、みんな会社名を知らないんだ。お父さんの後追って、偉いわねって」
「はい」
「甥の会社に俺の携帯から電話した誰かが居るんだ」
「はい」
「それでな。俺の携帯が遠隔からハッキングだとかされない限りは俺の携帯に触ったのはお前だけなんだよ。昨日、海で、掛けた番号がその、甥の居るところなんだ」
「……はい」
「お前は、どこで働いてるんだ?」
ユウマは眉を寄せた。辛そうだった。どこから話すべきなのか迷っているようだった。ため息と共に、語った言葉は顎へのアッパーよりも強烈だった。
「正義の者協会――」
おお、おお、異常な日々が益々深くなっていく。
俺はそれを喜んでいるのか、悲しんでいるのか、もうどっちでもいい。
彼は切々と語る。
「私はそこで拾われ、人の為に尽くすことを学びました。そして、私は私の力で異常を抑えるために働いています。たとえ誰に感謝されなくても――」
正義の味方に関するニュースは偶に報じられるくらいだった。中には、それが政府への不満をかく乱するための報道だと声高に言う人もいるが、俺は少しだけ信じていた。特撮ヒーローのように活躍する正義の味方、しかし見たことは無い。存在を信じていたとしても、実在するのか疑問を投げかける人の意見に俺は染まりつつあった。
だが、異常は常にあった。いや、それが在ることが正常だったのだ。俺はそれから目をそらして日常を謳歌していたにすぎないのだ。
そして、それを甥は知っていたのだ。俺が感じていた異常との生活のスリルを、おそらく甥は先に送っていたに違いない。こんな、形を変える何かの存在を、彼は知っていたんだ。
嫉妬か。体の奥深くからくる沸々としたものは嫉妬なのだろうか。
居てもたってもいられない。
「月見君」
「行く」
「はい」
「甥に、会いに行く――」
「はい」
アッサリ言ってくれたもんだが、甥の住まいは山の手にある。北の国から向こうに行くには飛行機で一時間から二時間かかる。当日航空券は難しい。先ず金が無い!
ああ、じゃあ、どうしたらいい。
「お前!」
「はい」
俺に指さされてユウマは背を正した。
「山の手に正義の者協会はあるのか?!」
「山の手は――、山の手の支部団体があります」
「そこに行ったことは?!」
「ありますが――」
「俺をそこまで送れ!」
俺の勢いに彼は呑まれていた。陸路を「走って」一時間、俺を抱えてそのぐらいのスピードで走れるらしい。しかし彼には欠点があって、海が渡れないのだという。
渡れよ、そこは、根性で。と訳の解らん言葉で泣かせ掛けたのは悪かったと思うけど、俺はとにかく甥に逢いたかった。長年のコンプレックスが爆発していた。
半泣きになった彼が協会に船の手配を頼んでくれたお陰で俺は無料で甥の家に行けることになった。鍵を閉め、ダッシュで外に出た俺を彼はゆっくり追う。時間を伸ばしているようにも感じた。早くしろ! と怒鳴られて訳もわからず俺を抱えて走り出す。走っているというか、地面を滑っているようだった。風景の流れが速くて、何を見たのかわからない。風が俺の顔を切った。瞬きをしてしまうと俺は波止場に立っていて、用意されたらしい船に乗せられた。イライラとした感情が俺を突き動かす。甲板を足で踏み鳴らし、早く早く。待っていられないのに待たなければいけないなんて。船着き場が見えても、俺は速く船から飛び出して、ユウマを足として走らせるつもりだった。
彼は慎重に船から降り、いきり立つ俺をなだめにかかった。
「落ち着きましょう」
「落ち着いていられるかボケッ!」
しねっ! お前に俺の何がわかる! ありったけの侮蔑の言葉に彼は益々悲しそうに顔を歪めた。俺を抱えると地面を滑る。俺は抱えられているという意識があったが、最初より長い道のりに彼の身体に包まれているのだと気付いた。肌が融解し、俺の身体にベルトのようにまとわりついている。瞬き二回で町はずれのコンテナ小屋にたどり着いた。
「誰がここに送れと言った!」
「ええ!」
理不尽である。俺は山の手支部に送れと言ったが、俺にとっての山の手支部は甥が居るところなのだ。行先を指定してスマホで地図を見せた。そのあたりの場所に心当たりがあるらしく、彼は「あ」という暇もなく大きな屋敷の前で俺を下ろした。
この場所は知っている。日向の屋敷だ。
日向の、まことの実家だった。
ピンポン。という音ではなく。日向の家は「ビーっ」と古臭いブザーの音が鳴る。夏彦を育てていた日向方の祖母が亡くなってから、庭の草は伸び放題だ。草の間から生えている赤い実が、この屋敷のファンタジー感を増幅させていた。俺はまたブザーを鳴らす。ビー、ビー、ビー。
引き戸式の扉が開いた。出てきたのは夏彦じゃなかった。栗色の髪の毛を揺らした瞳の大きい小柄な少年だった。俺を見るなり、何か構えを取る。「なんですかぁ?」と聞いた声がやや間延びしていて、あの時の電話の声が彼なのだと知った。
今にもかみつきそうな俺が吠えるまえに、後ろにいたユウマが「坊ちゃん!」と言った。
少年が構えを解いた。
「坊ちゃん!」
「あれ? ええと、ゆぅちゃん」
少年はユウマの手を取るとぶうんぶうんと上下に振り回す。「久しぶりー」と言いながら。
元気だった? 僕はねぇ、元気だよ。友達ができたよ。少年の毒気無さに俺の勢いがやや削がれる。すぅと戸襖が開き、そこから眼鏡を掛けた黒髪の少年が顔をだす。
夏彦。
夏彦は俺の顔を見て驚いたようだったが、少年が振り回すユウマを見て何か納得したようだった。この状況をすぐ飲み込む彼にまたやや怒りを覚えた。「まぁ、上がれよ」と許可を受けた俺は靴を脱ぐと音をたてて廊下を歩く。夏彦が引っ込んだ襖の奥は畳の部屋になっている。昔、そこからはきれいな庭が見えたが、今は草がぼうぼうで、枯山水は無くなっていた。そして、畳の部屋に似合わない真っ白のテーブルが置かれている。
「座れよ」
彼は適当に座布団を置くと一番奥に座った。家主なのだから当然だが、俺を奥に座らせることは“業と”しなかったのだ。また、なにかが沸々と湧いてきた。
俺と夏彦はにらみ合う。夏彦の隣には「坊ちゃん」と呼ばれた少年が座り、俺の隣にはユウマが座った。坊ちゃんはぎすぎすした雰囲気に両の手を胸まで上げ、九十度に手首を折っておろおろしている。ユウマはただ不安そうだ。夏彦は……いつものように綽々としている。
おろおろしていた少年は俺と夏彦を見比べてある事に気付いたらしい。
「あれ、二人、似てるね?」
俺と夏彦は彼を見た。先に口を開いたのは夏彦だった。
「俺の、叔父になる。正確には母の従兄弟だが、月見清介さん」
はぁはぁ、どうも。と彼は納得した。夏彦は少年を紹介した。
「彼は栗木朴」
「初めましてぇ」
ぺこりと頭を下げた彼につられて俺も頭を下げた。
「彼は?」
「栗木――ユウマ。俺の、……いや、正義の者協会、そっちの方が知ってるんじゃないの?」
夏彦は眉を寄せた。
「見たことが無い者は知る訳ないだろ」
「僕が紹介しようか」
少年、朴が言った。俺と夏彦は頷く。ユウマだけは目を伏せた。
「ええとねぇ、彼はね、父さんが連れてきた、正義の者協会のユゥマなの」
「ユゥマ? ああ、UMAね」
夏彦は彼の話を即座に理解した。やっぱり彼はUMAだった。そして疑問をぶつける。
「栗木の苗字は貰ったのか?」
ユウマは悲しそうに首を振った。
「いいえ、僕が勝手に――名乗っているだけです」
そうなのか。となぜか朴が頷いた。
「貴方も力があるのか?」
夏彦は的確に質問した。こういった状態に慣れていると言う事だろう。彼は頷き、俺に見せたように舌の形を変えて見せた。夏彦は驚いたようだったが、「ああ、うん。そうなんだ」と一人納得する。思った以上に驚かなかった事にまた怒りが湧いた。
「それで、セイさんはなんでここに来たんだ?」
「ああ、そうだ。俺はお前に言いたいことがあったんだ」
俺は夏彦を指さして立ち上がった。
「俺はお前に親近感を抱いていた。年近いし、親戚だし、花代ちゃんの子だし、だが蓋を開けてみたらどうだ? お前はなぜか万年二位! その理由も説明しない! こんな不思議な協会に就職しといて挨拶はなし! 俺には何にも教えてくれない! 俺はお前を甥として、友達として思っていたのに!」
「俺が万年二位取っていたのは自分の野心を隠すためだ。不思議な協会に就職したわけじゃない。守秘義務がある。回答になったか」
「そのアッサリ感が腹立たしい!」
夏彦と隣にいて穏やかそうに見えた朴まで「めんどくせぇ」といいたそうな顔をした。
俺はわあっとユウマに抱き付いた。マジで泣きそう。俺は夏彦を友達だと思っていたのか、そうだな。ずっと心配はしていた。両親を亡くして、笑い顔を無くした夏彦を。
ユウマは俺の頭をよしよしと撫でた。情けなくなってすぐ離れた。二人はしかめっ面を崩さなかった。鼻をすすって一通り吐きだしたことで満足した。俺は自分で思う以上に単純なやつだ。
「帰る!」
「何しに来たんだよ!」
俺が立つと夏彦は突っ込んだ。すっきりして玄関に向かおうとする俺の前で畳が浮いた。
本当に畳が浮いた。畳は手前が一メートル浮き鋭角に、よく見ると持ち上がった畳の形を保つために銀色の支えがつけられていた。その奥には灰色の階段があり、手前に隠れていた人がにゅうと這い出てきた。
彼は朴に似ていたが、しっかりとしたスーツ姿に分け目、そしてどこか雰囲気が違った。ユウマは彼を見ると「父様!」と言ってひれ伏した。この人が父さん?
父様と呼ばれた彼は軽く片手をユウマに上げ、俺に対しても折り目正しく接した。
「私は栗木獏、朴の父で、彼の親でもあります。血は繋がっていませんが」
「そうだったの?!」
お前はすこし黙って居ようか。夏彦が驚き立ち上がる朴に座る様促した。
「月見さん」
彼は俺を呼んだ。
「はい」
「これを」
薄っぺらい紙が俺に押し付けられた。それを読む。せいきゅうしょ……。
請求書?
「船のチャーター料になる。職員と、メンテナンス、ガソリン、今日は波が荒かったこともあって、少し割高になってしまうが仕方ないと思ってほしい。ちなみにそれは往復料金なので、帰りのことも心配して戴かなくて結構」
「……いえ、あの」
「いや、すぐ払えとは言いません。ただし、貴方の身分は我が協会が保管する。聞けば、貴方はよくトラブルに遭遇する才をお持ちとか。そこの夏彦君も正義の者協会に借りが多くありますから、日向……いえ、月見さんの血は無茶をされることが多いようにお見受けする」
ハハハ。と獏は笑った。俺は夏彦を睨んだが目をそらされた。
正義の者協会は地下深くに基地が張り巡らされていた。その内の一つが夏彦の家、あの畳の下から続いているのだ。俺たちはそこから降りて、協会内部を散策する許可が得られた。得られたというか、得てしまったというか……。
正義の者協会がどんな組織なのか、夏彦と朴のことも謎が多かった。ただ彼らは気まぐれに研究して、仕事をしている。給料について質問したが、税務担当の部署があって、ちゃんと暮らせているから大丈夫とのことだ。
まぁ、夏彦は頭がいいし、ユウマ曰く朴は「特別」だそうだから、居るだけで有益って可能性もあるが……。
正義の者協会の意味する保管というのは、「身分預かり」ということらしい。それを破った場合どうなるのか不明だが、
「従うだけで給料出るなら得なんじゃないか?」という夏彦の一言に希望が見えてきた。
でも、正義の者協会で保管されてどうなるのだろう。
とりあえず俺への命令は「ユウマと行動すること」だった。俺の身分は『北の国』にある正義の者協会が預かるらしい。つまり、そこに行けってことだ。
「不安だなぁ」
夏彦の家から真っ直ぐ通路を歩くと八方に道が分かれている、ここから各方面へ行くことができるのだが、その中心には便利なお店が集まっている。ふざけた名前だが、この協会、すげぇ財力がある。コンビニでパンとアイスを購入し、俺とユウマは食べていた。
「北の国の正義の者協会もこんな感じ?」
「いいえ。規模はもう少し小さいです」
なぁんだ。同規模の秘密通路を想像して少しがっかりした。
「犯罪は都会の方が多いのか」
「怪人や、裏組織はここの方が多いかもしれませんが――」
ユウマは勿体ぶった。カップのアイスを掬い、口の中で味わってから話す。
「心霊や特殊現象は北の国が多いです」
「なるほど」
北の国は自然が多いし、そうあるのも当然かもしれない。まだ開かれていない自然のなかに俺たちが見たことない生き物が生きているとか。俺はユウマを見た。そう、彼みたいな。
帰る前に夏彦に会っておきたかった。突然来て悪かったなくらい言いたかった。言った。ほんとだよ考えなし。と言われた。朴はユウマの手を思い切りブンブンと振り回した後、俺にも握手を求めてきた。右手を差し出し、彼に手を振り回されて、肩が外れるかと思った。
「おばさんによろしく」
「おう。最近会って無いけど。未だ言ってないことは無いか?」
「父さんは生きてる」
最後の情報をすべて聞くことはできなかった。フェリーの時間が迫っていた。朴の「おたっしゃでぇ」という間延びした声が響いた。待ってくれ! と俺が言う間も無く、フェリー乗り場に到着した。日没後に船を出すと料金が増しますと乗組員に言われ、俺は夏彦の言葉がぐるぐるする中、船に乗った。
明日はやる事が多すぎる。正義の者協会北の国支部に向かい、図書館に本を返しに行く予定だ。夏彦が言っていた「父さんは生きてる」の言葉の意味も聞かなければならない。
「なぁ」
「はい」
「俺も、ベッドで寝たい」
「はい。どうぞ」
自分が退ける気は無いらしい。それについて議論する気力は無かった。俺は彼の隣に横になる。久しぶりのベッドの感触に微睡は早い。でも狭い。俺があまりに動くのでユウマは体を液状にさせたのだろう。俺の身体は寝袋に包まれているような、ぶよぶよとした何かに包まれた。これ以上ない幸福だった。
「ねぇ」
台風のようにやってきた日向夏の叔父が帰った後、クリキは聞いた。
「ぼく、お兄さんだと思う?」
「はぁ?」
「ゆぅちゃんがお兄さんだと思う?」
「どっちでもいいんじゃねぇかな」
そっかぁ。二人は部屋の中に引っ込んだ。
2015/05/17
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