大渦みっけ

 似合うねぇ。
 潮風が爽やかだと言ったのは誰かしらないが、砂の上に足を乗せ、少しまくり上げたスラックスから見える足首の形が綺麗だ。ただ歩いているだけなのに絵になる。少し俯き加減で太陽の光を避ける仕草に光る白いワイシャツ、肌がややすけて、伸ばした首がセクシーに見える。髪の毛を掻き上げてみたりして。ああ、それは、潮風が爽やかに見えますねぇ。
 俺は今海の前に居た。俺の趣味ではない。ユウマの趣味でもない。麻衣子の趣味である。俺のバイト先に居て、ユウマが俺のストーカーであると突き止めた絵の上手い彼女。写真も好きらしく、SNSに載せるためのモデルになって欲しいと俺の家にやってきた。
 当然、モデルになって欲しいのはユウマの方ね。
 彼女はユウマと連絡を取ってほしいと頼むだけだったようだが、肝心の彼が俺の後ろからひょっこりと現れたのだ。「ひゃあああ」と間抜けな声を上げて、俺の部屋の前から逃亡してまた帰ってきた。戻ってきた彼女の第一声は「一緒に住んでるんですか!」だった。
 面倒臭いので、殺人事件の騒動で引っ越そうと思っている俺を住まわせてくれたと言う事にした。ストーカー様ばんざーい。冗談めかして言ったのに彼女は笑ってくれなかった。彼女は俺を無視して、ユウマに「写真モデルになってください!」と頭を下げた。
 イケメンはにっこり笑って美しく断った。指先をピンとのばして彼女の顔前にだし、「無理です」と言うだけで良い。
 しかし、彼女は引かなかった。長く伸びた指を退け、鼻息荒く言う。
「モデル料支払います! 一時間一万円!」
「はぁ」
 そんなバイトだったら俺がやりたいわボケっ。思わず本音が出掛った。
「お願いします、SNSは戦争なんです!」
 そうなんだ。ユウマには他人事である。深く頭を下げ続ける麻衣子に困った彼は、
「月見君も行くなら」
 それを条件に写真撮影を了承したのだった。

 なので俺は海にいる。一眼レフカメラを構える麻衣子とモデルになっているユウマを見ている。俺は時間監督官である。一時間超えたら「一時間超えましたよー」と言う役目、ただの野次だ。チッ、俺はポケットから煙草を取り出すと火をつけて吸った。煙が風に流される。寒い。潮風が爽やかなんて嘘だ。
 人が語る海の音はなぜ、“ざぁ”なんだろう。甥が読んでいた小説にもそんな表現が出てきた。ざざ、じゃなくて、ずず、かもしれない。砂を海の中に引きずり込む音だ。
 携帯が鳴った。また一時間超えた合図。
「いぃちじかんこえましたよー」
 煙草を咥えながら叫んだ。
 彼女は嫌な顔をしたが、すぐに切り替え、ユウマに「ありがとうございました」と言って頭を下げ、一眼レフのカメラを確認している。彼は俺の隣に来た。
「寒い」
「はい」
 ハァと吐きだした煙がユウマの顔に掛かってしまった。「悪い」と謝る俺の指に持っていた煙草をユウマは奪い、吸って、俺の顔に吹き付けた。
 やり返された?
 クスクス笑う彼に俺はもう一本煙草を取り出して吸い込む。風の力を借りて彼の顔に煙と届ける。子供のようなやり取りが繰り返されたが、じりじりと減った煙草が終わりを告げる。
 俺たちは麻衣子と海で別れた。あったかい物でも食べたいなぁとつぶやく言葉が潮騒に消えた。
「海ってさぁ」
 今度は聞こえた。
「なんで“ざぁざぁ”なんだろうな」
 彼は首を傾げる。
「ずずず、かもしれねぇじゃん。ずっざーん、かもしれねぇじゃん。砂が海に引きずり込まれてるんだ。うどん食べたいなぁ」
 ずずず、と麺を啜る音を思い出した。海が砂を吸い込む音。ずずず、ずざーん。ずざーん。ずざーん……。
 足を止めた。
「なぁ、あの海って渦巻いてない?」

 鳴門海峡のように、波と波がぶつかって渦巻きになる場所はある。だがここは違う。いや、俺は海洋に詳しくないから、どこでも渦を巻くのかもしれないけれど、この辺の海は比較的穏やかなもんで、渦潮が発生したなんて生まれてこの方聞いたことは無い。ぐるぐるめぐる白波の形にやっぱりあそこは渦になっているんじゃないか? と疑問を呈す。
 ユウマは困った顔をした。
「規模が大きすぎます。海の中は行ったことがありません。その、連絡しなければ」
「ははぁ」
 なるほど。担当が違うのか。俺が理解すると奴は周囲を見回した。何をしているのか問えば、「公衆電話」を探しているという。
「使えよ」
 俺が手渡したスマートフォンに奴は驚いたようだった。礼を言うと番号を入力する。俺から少し離れた場所で通話を終えるとまた礼を言ってスマホを返した。
 それから、船が何隻か穴の傍を通り過ぎた。大漁と書かれた旗はその船を漁船であると印象付けるが、電話の後に現れたことから、アレはおそらくユウマの知り合いの船なのだろう。渦潮の調査に来たのだ。俺はユウマの後ろでスマホに触れるとどこに電話をしたのか、履歴を確認した。番号は至って普通の電話番号、俺はひそかにその番号をフォルダに登録した。
「行きましょう」
 ユウマは漁船が穴の周辺を旋回したのを確認するとその場から遠ざけたいようだった。俺は黙ってその誘導に従う。今日は、これ以上探らないでおいてやる。
 
「先輩! お陰でフォロワー増えましたッ!」
「あっそ」
 海で別れてから数時間後、彼女は俺の家に来襲してきたが、あんまり興味はない。バイト情報誌片手にベッドの上で寝そべる俺に、正座して客を見ているユウマ。彼女は地面と踵の距離がある靴をポイと脱ぎ捨ててドスドスと上がってきた。
 女子力無しと判断させていただく。
 彼女はユウマにタブレットパソコンの画面を見せた。横目で確認したところによるとそういうサイトのようだ。ユウマの写真が載っていて、コメントがついていたり、いいね! されてたりするんだろ。
「よく撮れるものですね」
 ユウマの褒め言葉に彼女は顔を赤くした。
 後ろから覗く。モデルがいいんだろ、モデルが。
「あ」
 俺とユウマが同時に声を上げた。
 ユウマの口から吐き出された煙が前髪で瞳の隠れた俺の顔に吹きかけられている。今まで写っていたどの写真よりもユウマが人間らしく見えた。
 麻衣子の解説によると、
「距離が、エモっぽくていいなぁって」
 とのことだが、
「ホモ?」
「違います」
 すごく怒られた。

2015/05/09

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