無意味な劣等感
アルバイト情報誌とにらみ合って、バイトを探す。面接をお願いするために電話を掛けても、もう募集人数は集まったとか、免許は持ってるかとか、そういう事を聞かれて面接にすらこぎつけない。床の上にころんと横になり不貞寝を決め込んだ。今日は外に出ない。
彼、栗木ユウマはそんな俺を正座で眺めている。呑み込んだ本が返却されるまでの一週間、ここに居ることになった。彼が来てから食品の減りは早くなったが、隣から聞こえて来る喘ぎ声は無くなった。自分たちが醜いと言う事に気付いてしまったのだろう。
世の中というのは情熱と怠惰とわずかな勘違いで出来ている。自分たちが世界一格好良くて、美しいカップルだと思えている間は良いが、世界一どころか、宇宙を探してもこれだけ美しい人を見つけることが難しい美男が隣に居たのだ。俺も同じだ。仕事をしている間、これは俺しかできないのだと誇りを持っている間は良いが、案外蓋を開けてみたら自分以上に働く奴なんていっぱいいるものだ。世の中そんなもんだ。俺はどうしてこんな風にひねくれてしまったのだろう。
主に甥のせいだとは思う。
引っ越し蕎麦を送ってきてくれた甥。それがまたそれなりに美味しかったから腹立たしい。彼は粗雑な振りをしていながら、実は育ちが良いのだ。住んでいる屋敷はその昔、からくり作りを趣味にしていた商人の先祖が建てたという屋敷でそれはそれは立派だった。そんなの、彼の父方の話で、月見には関係ないのだが。
思えば甥は、月と日という両極端な苗字の二人が出会って夫婦となり、月に居た美女が日向に行って生まれた子だ。苗字からすでに成功が約束されたようなもんじゃないか。
俺は、甥に似ているとよく言われるが、デキは全く違った。懸命に勉強してようやく七十点取れる俺に対して、勉強しなくても百点とれて、しかもそれをごまかすために九十八点取る甥。
甥が好きだからこそ甥が嫌いだった。
持ってない物を比較しても始まらないのだ。生まれた瞬間からDNAが違うと言われてしまえばそれまでだ。俺は甥ではないし、甥は俺ではない。
外に出たくないという自己中な誓いは数十分で破られた。何も言わず立ち上がると玄関に向かう俺に彼もついてくる。俺は後ろを振り返る。留守番しなさい。と言えば、彼は留守番するのだろうか。
ムカムカした気持ちを晴らすためにデパートに来た。靴を見るのが好きだ。おしゃれは足元からと誰かが言ったのを俺は頑なに信じている。甥と俺で大きく差がつけられることはファッションだったから、俺は服や靴が好きなのかもしれない。
だが、そんな心もユウマの方に店員が吸い込まれていくのを見て萎え始める。結局は顔・スタイルなのだ。ちんちくりんよりも、スラッとしてよく見える方に服だって着てほしい筈だ。
しかし、店員の勢いがユウマに行っている隙はチャンスだった。ゆっくりと靴や服が見れた。誰に干渉されるでもなく気兼ねなく、それは俺にとっての幸福だった。
もう一つ。店員のレベルが解った。やっぱり、スタイルが良くっても似合う服に合わない服あるもので、これは、と思う服屋と、うーんと思う服屋の振り分けができた。彼はオモチャにされて困っていたようだが。見ている俺は楽しい。
服売り場から解放された彼は機嫌が良いとは言えなかった。仕方が無いので大衆食堂に連れていく。好みだと判明したソフトのったアイスクリームでもくれてやれば機嫌を直すと思ったのだ。事実、その通りだった。彼は食品サンプルのパフェに惹かれたようで、それを注文すると長いスプーンでおいしそうに本物のパフェを掬って食べていた。俺が頼んだウーロン茶とケーキにも手をつけそうな勢いだった。スプーンを咥えて、じぃっと眺める。
美しく透けるグリーンの瞳に負けたのは俺である。俺はケーキを一口食べて、彼に勧めた。
甘い物をぱくつく男というのも女子の気をひくのかもしれない。コイツを観察しているだけで、俺にもモテ力が付けばいいのだが。
七階の窓から外を眺めた。駅前に続く大通りは新学期の始まりもあって人は少なめだ。キャリーバッグを運ぶ人や、観光客と言った風情の人がちらほらと居るくらいで、面白いものは何一つなかった。
この辺は未だ冬の名残があって。遠景に見える山が雪傘を被っていたり、吹き付ける風がまだ少し寒かった。根性のある一部の花が色を見せ始めたくらいだ。春はあまり好きではない。春は……新しいことを始めなければならないという焦りに支配される。今も、ふらふらとデパートの中を彷徨っていても結局頭のどこかで忙しく歩く人の中に紛れなければならないのだと思っているのだ。
スプーンがグラスに当たる音がした。残ったクリームを指先に付け舐め始める不可思議生物に聞いてみた。
「お前はどう思う?」
忙しく歩く人、生活する人々、会話してるカップル。彼は彼らをどう思っているんだろう。
俺の質問に指を唇から離すと「羨ましいと思います」と言った。
「人ですから」
「人が羨ましい?」
「はい。私は自分がよくわかりませんから。人が羨ましく思います」
その考え方は俺の中に無かった。頭が一つ、腕が二本、足が二本、腕の先には手があって指があって。それすらはっきりとしない。
彼は自分の形を模索していたのだ。こうしなさいと言われてその形をずっととっている。それは俺から見たら羨ましい形だが、彼は自分の形を未だ探している。
「私の形は見本があります。この指は昔に流れた映画のワンシーンから作られました」
「そう」
完璧な美しさだ。彼は机の上に指をくっつけて手首を浮かせた。書類を置く一瞬のシーンを真似して形を覚えたらしい。絵画や彫刻、映画から作り上げた自分の形。
「貴方は――、形を作りたいと思いますか?」
「うーん」
難しい質問だと思った。コンプレックスはある。もう少し背が高かったらなぁと思う。鼻ももうちょっと、あと、人相が良くなったら。
「今のままでもいいかな」
これ以上考えると自分を嫌いになりそうだから、切り上げた。そうですか。と彼は笑う。俺が自分に満足していると勘違いされては困るのだが、間違ってもいない気がしたので否定するのはやめることにする。俺は完璧に作られた彼を眺めた。
「お前と俺はちょっと似てるな」
にこやかな顔が困り顔に変わった。
俺とこの怪物に僅かな共通点を見た気がした。俺も彼も不完全な自分に満足していないのだ。でも、彼はその体のままだし、俺は俺でバイト情報誌とにらみ合って決まらないバイトに焦りながら不貞腐れている。
2015/04/25
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