今彼俺元彼


☑身長175cm 以上
☑年齢±5
☑タチ
☑セックス希望

「どうした? 早く上がれよ」

 扉が開かれた先に、見知った顔が居た。期待してやって来た俺の顔は青い色に変わって、そうして赤くなった事だろう。数週間前まで、常に見てた顔――元々、付き合っていた恋人だったヤツがそこに居たのだから。
 アプリを使い始めたのは付き合っている最中だった。知り合いが多数いるバーで、ヤリ目にそれを使う事があると携帯を見せられたのだった。アプリには自分がどんな奴か紹介するプロフィールが並ぶ。偶にスワイプすると流れて来る整った身体にちょっとクラッとした。
 アプリを「使ってみれば?」と言われたあの時、アレは悪魔の誘いだったように思う。その頃、単身赴任中のパートナーと少し疎遠で、孤独を感じていたのは嘘じゃない。出会い項目には、「デート希望」「セックス希望」「生涯のパートナー希望」と各々の望みが書き込まれている。
 一人、同じ地域に住んでいる「デート希望」の年下男が目についた。少し照れたように笑う、キレイな青年だった。背景に映っていたのが美術館で、好きな作家の作品の絵だったから、少しだけ話してみたくてDMを送った。
 返事はしばらく経ってから来た。「最近アプリに触れてなかったけど、華山先生の作品が解った人は始めてで」と書き出しはそれからだった。
 実際、彼に会った。写真と少し違ったのは髪の毛が写真より長かったことぐらいだった。華山魁の絵があるカフェで少しだけ、お話しようとなったのだ。
 俺は上手に話せたか判らなかったが、彼は俺を少なからず気にいったようで、「また会えませんか?」と連絡がきた。俺はそれを承諾する。何回か彼に会って、一緒に作品展に行って、彼の部屋にある華山魁の作品集も見た。
「この絵が一番好き」
 後ろから体を抱かれた状態で、画集を眺めている俺の耳元、吐息混じりの囁きに体が熱くなる。大きく反応した事に彼も気付いていた。「弱いの?」と聞きながら冗談で息を吹きかけて来る。冗談じゃすまなかった。本当に弱いのだ。クスクス笑いながら俺の耳に何度も息を吹きかける彼に翻弄されながら、息と一緒に下る指先の感触は、ただ肌に当たっているだけなのに気持ち良いと錯覚させて、本当に俺はダメな奴なんだと思わせた。

「どうせ、後ろから抱かれながら耳元で息でも吹きかけられて、そのままセックスにもつれ込んだんだろ」

 この名言が言い放たれたのは、アプリを使ってヤリ目で希望した人に会いに行ったら元カレだったという今から、数週間前、赴任先から帰って来た恋人が、奇妙な俺の動きに気が付いて、携帯を探り、浮気相手を呼び出して言い放った言葉だった。
 素敵な出会いだったカフェを糾弾の場に変える辺り、恋人の賢いが陰湿な性格を表している。呼び出された浮気相手は俺の事を悲しそうに見、そうして恋人に向き合った。カジュアルな雰囲気でやって来た芸術的文化人の彼と、仕事をバリバリするこの後も職場に戻るスーツ姿の彼と、雰囲気は対局にあるのに、細身で筋肉が付いている体の造りは似ている。
「僕は」
 浮気相手が口を開いた。
「彼を愛してますよ」
「ハ」
「浮気したって事は、貴方にもう気が無いのでしょう。僕に下さい」
「……抱き心地が良かったか?」
 苛々しながら彼は言う。
「……そうですね、ハイ」
 否定せず、彼も言う。当事者の俺に選択権は無く、この場の沙汰を待つことになった。
 恋人の携帯が鳴る。彼が仕事に戻らなければならない事を告げていた。タイムリミット、席を立ち、俺にもそれを促すが、俺の腕は浮気相手に取られていた。
「話がしたいので、彼を貸して下さい」
 恋人はそれを否定も肯定もせず、ただ歩いて店から出て行っただけ。彼が去った後、何故か少し落ち着いた。気が無いと言われて少し考えた。確かに俺は今、俺を見つめる優しい視線に安堵を覚えている。
「ごめんね」
 何故、謝られたのかわからなかった。謝るのは俺の方で、彼は何一つ悪くは無い。戸惑う俺に、耳元で囁く「恋人がいるだろうなって、知ってたけど、欲しくなったんだ」
 大きな窓の外。目隠しがわりの観葉植物の隙間から恋人が見える。刺すような視線を持つ彼と、横に座る彼の甘い囁き、頭の中の天秤は“甘さ”を選んだ。

 家に帰って来た彼は俺の浮気を責める事はしなかった。居残った後、何を話したか聞くでもない。いつもの様にスーツを脱いでリビングにあるロングソファーに座って隣に座る事を促すだけだ。
「あの……」
「何か」
「別れて欲しい」
 深い深い息が吐き出された後、彼は「そうか」とだけ言った。
「に、荷物はもう詰めたんだ。あと、出て行くだけ――」
 引き留められる事は無かった。ただ、俺を見る事も無かった。彼は昔からそういう所がある、自分にも厳しくて他人にも厳しい。そこが好きだった。

「おかえり」
 と新しい恋人は言った。この家に荷物を持ち込んで生活するのはこれからなのに、どうして? と聞けば、「ずっと住んでいたようなものだろ」と笑う。持って来た荷物を抱えて、何度もやって来た寝室兼リビングルームの部屋に置く。前の家よりは確実に狭い。けれど、満足ではあった。
「怒られた?」
「いや……、アッサリ終わって。寧ろビックリしてる」
「そっか。彼も、わかってたのかもね。見て、新しい生活だし、乾杯しようと思って、お酒を買ったんだよ」
 コップに酒が注がれていく。おつまみを大皿に、元彼なら、自分の分と俺の分必ず分けて、食べたかったらセルフでとする人だった。健康の管理にも厳しい人だった。目の前の食事や酒も美味しい筈なのに、離れてどうして彼を思ったのだろうか。酒で脳を焼き、体の弱点を責められながら目の前にいる、優しい新恋人に集中できない自分に腹が立つ。

 新しい恋人との生活は、決して悪く無かった。だが、もうなんだか悪い癖となってしまった何かが俺の中にあって、彼の肉体で物足りない部分が補えないと感じていたのだ。非常にストイックだった元彼に対して、この恋人は自分に緩い処がある。数週間経て、体が少し大きくなった気がする。ゴツゴツとした抱き心地から、少しだけ柔らかみが増した気がするのだ。
「太った?」
「うん。幸せだからかな」
 その言葉に嘘は無いだろうと思う。彼は俺を見てニコニコしながら良く酒を飲み、良く食べる。幸せと言えば正しいが、少し理想と変わった肉体に、落ち込むことはあった。

 ――ある日、携帯に着信があった。久しく起動していない“あのアプリ”からだった。

 あなたのプロフィールを見て、どうしても連絡してみたくなったんです。

 一緒に添えられた写真には、良く引き締まった男性の体が映っていた。好みのタイプだ。普通なら、詐欺だとか、違法サイトへの誘導を疑うが、俺はその写真の主を信じた。
 写真の中に俺のIDを描いた紙が写っていたからだった。

 玄関で扉を閉める閉めないのやり取りをしていると、廊下を通り過ぎようとする同じ階の住民が困っていた。タイミングの悪すぎる登場に困り果てる俺を「すみません。今、ひっこめますから」と服を無理矢理に掴んで部屋に入れる。力を入れて俺を部屋の中に引き入れた際、血管の浮いた引き締まった腕に心臓が跳ねる。
「借りたのか」
 当然だが、呼び出された場所の住所が前の家だったら行く筈は無い。俺が来たのは築20年ぐらいの小ぎれいなマンションの一室で、単身者が住みそうな特別広い訳ではない部屋だった。部屋にはベッドが一つ、あとは、何もない。
「そうだ。見事におびき出されたな」
 鋭い瞳は俺を見下ろし、嘲る様な笑顔を隠す事無い。
「お前の事を一番知っているのは俺だからなぁ。引き締まった体に欲情して、耳元で何か囁かれるとコロッとそいつを好きになる。あと、気付いてないと思うが、少し酒焼けした濁声の男が好きだろう。お前が俺の声を好きになるまで、何杯テキーラを飲んだか。年も重ねたら体を引き締めるのが難しくなるのに、好かれるのにジムに通い続けたのが悪かったんだろうな」
 彼の言葉に間違いはない。部屋の中に引っ張り込まれて、顔を寄せ、耳元で囁かれるだけでカーッと体が熱くなる。耳に顔を近づけて、食み。舌が差し込まれてしまえば、興奮で息が浅くなる。
「その単純な性癖は、俺だけに向けてもらわないと」
 言いながら嘆息。早く入れと急かされ、靴を脱ぐ。ベッドの前で優しい彼の顔が浮かんでまごつくが、目の前で服を脱がれ、顕わになった上半身が確かに俺好みの引き締まった創りで再興奮。「セックスをしに来たのだろう」と言われて上着を脱いだ。
 ボタン一つを外している間に顔から首、肩に体と撫でられていく。脱ぎ終わっていないのにキスを何回かした。ズボンの間から差し込まれた手が後ろを撫でる。性急にも思えた。
 俺はしゃがむと彼のズボン、ベルトに手を掛けて下着の上から男性器に触れた。硬くなり始めたそれを撫で、顕わにして咥える。最初は俺に任せていた彼が、頭を押さえ力を入れるようになったら口を離す。
 全ての布を取り払った。もう何も隠せない。床に散らばった服なんか気にせずベッドに座る彼の上に跨った。流石にこのまま挿入するのは難しい。少し慣らす。
 彼の指は撫で、離れを繰り返す。キスをする間に一本、舌を絡める間にもう一本と数を増やす。最初は先を少し、入れては抜いてを繰り返し、深く挿入する。足の力を緩めると、急に奥に挿入されて苦しくなる。
 鼻に掛かった声が何度も口から洩れた。
「ヤツとはどうセックスする」
「どう……って」
「優しいセックスをしてくれるか?」
 彼の上に乗っている俺が、彼を見下ろす形になる。答えにまごつくと腰が動かされて、早く答えろと急かされた。不承不承頷く。
「へえ。一日中、繋がっていた事もあるのに。鍛えるつもりで体を抱え上げた事もあったな? 壁と俺に挟まれて、次の日、背中が痛いと訴えるお前を甘やかしたこともあったな」
 ベッドの上に付いていた足が持ち上げられ、やや不安定な状態で揺らしながらガンガンと突かれる。
「お前は優しいだけじゃ満足しないのにな。絶対」
 浅く息を吸うのがやっとの口を無理矢理塞がれた。息を吸う為に逃れようとするのに、舌が咥内に入って邪魔をする。脳に回らない酸素に気絶しそうになる。耳を噛まれて体が大きく跳ねた。彼の腹、美しい筋肉付いた体を、俺の体液が汚す。それでも離してはくれなかった。何度も突かれて、ぐちゃぐちゃと掻き乱される音が耳につく、いつの間にかベッドの上に横たえられて、首を押さえつけられながら、唾液を交換し、何度も何度も突かれた。
 事が終わって、シャワーを浴びようと風呂に逃げる。そこにも来て、俺の体を抱き、水に濡れながら何度も口付ける。また興奮して鏡に手を当てながらもう一回。太腿から体液と潤滑剤がこぼれて伝うのがわかる。やりすぎてる。
 それでもなんだか止まらなかった。互いに求めすぎたのか、元々こんな恋人関係だったのか、曖昧で思い出せずにいた。厳しいけど優しかった彼を壊してしまったのか、そんな風にも思う。
 じゃあ、俺と元カレの今の関係を、今の恋人が知ったら、彼もまた壊れるのだろうか。耳にかけられた優しい言葉と芸術を愛する繊細な指を思う。肌に爪を立てて痕を残そうとする彼とまた違う「こっちを見ろ」集中していない事に気付かれて、指が雄の象徴、その先に触れて、少し力込めて潰された。堰き止められる感覚に苦しくなって仰け反る。また体が疼いて、満足するまで彼の上で腰を振っていた。

 疲れた。こんなに疲れたのは久しぶりだった。彼もクタクタの筈だが、シャツを着て「送る」とそれだけ言う。のろのろと体を拭き、服を着て、しんどさを感じながら階段を下りて、助手席に座った。昔、当たり前にそうしていたように。
 お気に入りの音楽をかけるでもなく、車は黙って家に向かう。家の場所もちゃんと調べてたんだなと妙な所に感心はしたが言わなかった。窓から流れる外の風景を眺めて、それが家の近くになった所で「下ろして」と言ったが許されなかった。
 家の前、今彼が俺たちに気付かないようにと祈りながら車を降りようとする。意地悪いことに、ドアの鍵がロックされて開かなかった。降りようとする俺が抗議の「おい」を発すると、彼は顔を近づけ、キスをして「またな」と言った。そうしてようやくドアが開かれた。

「ただいま」
 優しい声に顔を上げる。少し眠っていた。「おかえり」と声かけて、彼の傍に近づく。優しく笑いながら濡れた俺の髪を梳く。
「風呂に入った?」
「うん……」
 少しの後ろめたさが体温を上げた。
「じゃあ、していい?」
 少年のように、純粋に笑う。体温の上がり切った体は温度を下げようと汗を流し、脳は息を吸えと命令する。さっきまで違う人と絡めていた舌に、彼の舌が絡んだ。腕が体を抱いて、耳に長い髪の毛が当たって体が震えた。
 彼は電気を消してするのが好きだった。瞳が慣れるまで布の擦れる音と、床に落ちる服の音が響く、ベッドの上に沈む俺の足を優しい指が撫で、下、腹と太腿の間に降りると少し硬くなった性器と、後ろに触れる。
「あ……」
 ヌル、と、普段は慣らさないと入らない後ろの穴に指が入った。彼の指を欲しがり、きゅうと締め付ける。指が抜かれると浮気の証拠が溢れて、伝う。
「し、てた」
「一人で」
「そう」
 嘘が口を突いて零れ出た。首を傾げる彼の影が俺の目に映る。
「寂しかった? ごめんね」
 彼の口から溢れる優しい言葉と、携帯の着信が彼の体を照らす。引き抜いた指が濡れているのが生々しかった。
「今度は僕に集中させてあげるね」
 汚れた指が体を掴む。足を持ち上げられると後ろに熱が当たった。言葉の意味に気付いて身を捩る。携帯の灯りは消え、彼の顔が見えない部屋に嬌声だけ響いた。

2020/07/06

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