余韻の焦れ

 アイドルと一緒に映っている黒スーツの男に、女性の視線は集まっていることだろう。ネクタイは締めず、肌蹴させた第一ボタン、ジャケットはシッカリ着ず、前髪かかかる涼やかな目元、少しラフな髪、長い脚を組んで、前に演奏するアーティストが話し終わるのを待っている。
 時々、有名アイドルが隣に熱い視線を送るが、彼は本当に気が付いていない。SNSで発狂している奴の声なんて当然届く訳もなく、ただ自分の出番を待っている。そんな彼の名はスズミ。スズミさんと一般人は呼ぶ。
 スズミに関しては謎が多い。良い曲を創るロックンローラーであること、テレキャスターのギターを使っていること、背の高いやせ形の男であること、二十代であること、あと顔が良いこと、は、見た目でわかる。インタビューで自分を語ることは少ない。音楽を愛していることだけは何となく伝わる。プライベートに謎の多い男。
 一か月前、そんなスズミにある噂が出回り週刊誌が調査した。ある青年と一緒に生活していると噂が立ったのだ。その噂は事実だと判明した。話題の切欠というのは親交のある誰かから出回るものなので、スズミの人格やプライバシーに関することをその一緒に住んでいる“誰か”から聞き出したいというのだろう。
 そしてその一緒に住んでいる“誰か”が、ナットである。
 一応音楽活動はしているが、年収はスズミの足元にも及ばない。出したCDはまだ一枚、百位以内には入ったが人目に付くには程遠いのでアルバイトを頑張っている。そっちのほうで就職したほうがいいんじゃないかとバイトの仲間に言われたこともあった。
 だが、彼がスズミの“友人”であると知るや人々の目は変わる。不本意であるが、ナットの生活は少し向上した。ちゃらんぽらんな生活をしている「売れないアーティスト」から「スズミさんの友達」に格上げされた為だ。
 スズミの番が近づく、カメラが偶然彼を映した。口元が動いている。以前からSNSで彼が何を歌っているのか調べている人がいる。それまで謎だったスズミの鼻歌がナットのCDに入っている一曲であることを突き止めた人々のお陰で、ナットのCDがまた少し売れたりする。これもまた、少々ナットに不満だった。
 有名になりつつある副産物か、バイトの行き帰り、声をかけてくる人が増えた。多くは週刊誌の記者である。スズミに関する情報を少しでも多く集めたいという腹積もりなのだろう。ナットは彼らを鬱陶しく思いつつも、彼らの仕事については同情していた。彼らも知りたいのだろう。謎のイケメンアーティストについて。
 足早にマンションに駆け込み、オートロックの扉を潜るとエレベーターに乗り込んだ。上に、上に。先ほどまで自分を囲んでいた記者を見下ろして部屋に入る。生活感のない部屋の中、スズミは長いソファーの上で足を組みながら眠っていたりする。
 ナットは荷物を置いて自分の部屋に入った。気を使っていた筈だ。音は微かなものだったと思う。それでも小さな音に気がついたスズミは瞳を開け、ナットを認めるとゆっくりと起き上がり、彼に近づいて「おかえり」と言う。
 荷物を置いてリビングに向かうまで、スズミはナットから離れなかった。
 疲れた顔でソファーに座り音楽番組を眺め始めたナットを塞ぎ、スズミは彼と目を合わせた。目の前に居るスズミの目は澄んでいるのだが、恋愛は眼を曇らせるらしく、スズミは「かわいい」や「キレイ」を繰り返す。恐らく、今までの恋愛もそんな感じで過ごしてきたのだろう。一しきり褒めちぎって言葉が無くなると、区切りと言わんばかりにキスをして離れる。そんなルーティン。
 日常生活はそれを繰り返すばかりだ。朝起きて、食べて、時間があるなら二人で居て、食べて、風呂に入り、寝て、また起きて……。
 二人は“そんな感じ“であまり変化が無かったかもしれない。だが、対外的にはそうもいかない。良曲を発表し続けるスズミの評価は上がっていき、いまいち振るわないナットの評価は上がらない。スズミが愛や恋について歌う曲を創作すればする程、何故彼に創れて、自分に創れないのかわからなくなる。
 嫉妬がナットの脳を焦がす。
 ……そんな時はスズミを虐める事にしている。
 簡単なことだ。ルーティンの中に想定外を混ぜればいい。「好き」だの「愛してる」だの、浮ついた事を言う彼の言葉の間に、「俺も」や「もっと言って」と言いながら触れるだけでいい。
 言葉を止めて体の接触に夢中になったら、適度に焦らす。もっと欲しいと思うまで焦らし続ける。本能を剥きだして、ギラギラと貪るスズミの頭を撫でながら自分が優位である事に悦を覚える。
 整った歯を剥きだして、喉に噛みつき、欲に苦しむ顔に優越。体に触れる許可が下りたら荒々しく貪る。暴発して嘲笑され、苦しそうに歪んだ顔で尚求める。
「欲しい?」と聞けば彼は頷く。
「でも、あげない」そう言えば苦しそうに懇願する。頭を撫でて嘘だと言えば、嬉しそうに望む。犬みたいだと告げたら「ワン」と言いながら唇を噛まれた。

 ある日、スズミが首に輪をつけた。ファッションリーダーとして認知されてきた彼に「流行ってるの?」と質問をした。彼は首を振る。
 音楽番組で首輪をした彼の姿が映し出されて、翌日からSNSに彼を真似る女子が増えた。腹が立つ。そう言ったら彼は首輪を外した。
 首輪を外した日、スズミはいつもよりナットに縋った。言葉を発することは無かった。普段は一人で座るソファーに無理矢理跨って、降りるように命令しても降りようとしない。苦しそうに息を吐きながらようやく言った。
「すき」
 あ、これは、犬が鳴くのと同じなんだ。ナットはその時、漸く気付いた。
 手を開くと肌を擦りつける。匂いをつけているみたい。本当に獣だと思った。顔色を伺いながら何度も何度も、手に肌を擦りつける獣。薄く唇を開いて甘く指を噛む。
 うっとりと細めた目でナットを見ながら、何度も何度も繰り返した。
 飼い犬が愛する飼い主にするように。

「ん」
 言葉数少なく、ぶっきらぼうに伸ばされた手の先に、小さな小箱が握られていた。ナットの眼前に突き付け、押し付けられる。暗に、受け取れと言われていることは理解できた。箱を手に取り、持って、振ってみる。カタカタと小さな音を立てて、中身が揺れた。
 箱を開けてみると中身は目立つシルバーのアクセサリーだった。如何にもロケンローラーが好きそうな。それが二つ。無意味だと解っていてもつけずにはいられないペアのリング。それを「つけて」と求めているのだ。一つはナットの指に、もう一つはスズミの指に。
 ナットは少し大きな方を取り出すと、スズミの手を取った。当然、左だ。左の手の先にある顔は嬉しそうに見える。薄っすらと開いた口から見える歯が下唇を噛み、瞳は潤んでいる。薬指の根元に銀の指輪がつけられるとスズミは嬉しくなって、思わずナットの唇を噛んだ。
 もう一つ、箱の中に残った指輪をスズミは持ち上げた。それはナットの左手薬指に……はめられる筈、だった。
 だが、左手の薬指に指輪を填める儀式をナットは拒んだ。驚き見開くスズミの顔を見て溜飲を下げる。
 溜飲、どうして溜飲を下げたのだろう。
 ナットは悲しそうに自分を見つめ、胸を抑え、苦しそうに息をするスズミの顔を撫でた。そして言う、「今はダメなんだ。俺がお前に追いついてないから」。

 スズミの指に光るシルバーリングにファンや記者は色めき立つ。相手がどんな奴なのか、ナットの元にまた取材が来て、彼ももう少し有名になった。テレビに互いが映る度に秘密が漏れて、何時か二人の関係が暴かれてしまうのだろう。
 その時にきっと、ナットの指にシルバーが光る筈だ。スズミは空想する。
 ナットも思う。指輪を付けたいと思う時まで、彼は待ってくれるのだろうか。

 二人は焦れていた。

2017/12/20

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