学校

 脳内に、凛と立つ美しい少年が居た。着ているのは灰色のブレザー、ズボンがチェックのおしゃれな制服の学校。
「どんな学校だったんだ?」
 食い気味に聞いたと思う。素敵な制服を着た少年は頭に浮かぶが、その周りにある生活が想像できなかった。俺は学ラン以外の制服を着たことが無い。高校時代は私服オッケーなゆるい学校で、学力もそれなりだった。
 瞳の端に会話する学生服の少年たちが映る。彼らは、言っちゃ悪いが“イモボーイ”で、隣に座る“エモボーイ”とは大きく離れていた。
 俺が頭の中で隣に座る彼の学生時代を想像していると牛丼が二つ置かれた。彼は箸を割ると肉の一切れを口に運ぶ。そこだけ異世界だった。やっぱり、ユウマは庶民的な牛丼チェーン店に馴染まない。
 給料日まで三日ある。一応、俺にも給料が出ることになっているからもう少しでこの極貧生活から抜け出せる筈だ。協会から貰った初めての給料で……もう少しいいものを食いに行くんだ。肉並つゆだくの牛丼じゃなくてさ……。
「山中にある――」
 店員が離れると彼は小さな声で話し出した。
「森に囲まれた高校でした。生徒は全学年合わせて四十名程」
「全学年じゃ少ないな、特進とか?」
 エリート中のエリートが学問をする為だけに集められる学校。じゃあ、ユウマも頭がいいのか? 世間一般の常識を知らないのに? 天才は常識を理解する必要がないのかな。
 俺は凡人ですから。無音で愚痴る。
「違うと思います」
 彼が否定したのは俺が凡人であると言う事ではない。その学校がエリート養成校ではないということだ。ユウマは唇に手を当てた。
「いえ、ある意味では……特別進学校かもしれません。そこは、所謂“幸せの村”だと呼ばれていました」
「ああ……」
「学年の生徒ほとんどが自分の戸籍を持たない――、それが在る事すら知らない、それに縛られない場所といいますか」
「ああ…………」
 予想は確信に変わった。幸せの村そのもの、ハッピーファームというやつか、宗教等の理由により、その村から外に出ず、自給自足の生活を行っているとかなんとか。
 おしゃれな制服姿の彼は崩れ落ちた。俺の中に、ズタ袋のような、麻の服を纏った彼が居る。それでも、それなりに似合っていると思うのだから恐ろしい。ゴミ袋すら彼ならおしゃれに着て見せるだろう。今度やってみようか。
「そこで学業をこなした者は村の指導者になる権利を与えられます」
「なるほど……、そこに行ったってことは、やっぱ、協会がらみ?」
「ええ」
 俺はようやく箸を割った。考えてみれば、コイツが出向くってことは協会が絡んでいない訳が無いのだ。紅ショウガを多めに盛り付ける。
「朝のお祈りや自給自足の生活の他は、閉鎖的ではありますが、至って普通の村といえるでしょうか、生徒たちは皆、年相応の無気力感というか、その村に住んで、労働に励めば一生の生活がありますから。ただ、外界に興味を持つ子が居て、外からやってきた僕に話を聞くこともありました」
「ふぅん。……協会はなんでお前を潜入させたんだ? テロを警戒してたとか? 子供たちに平等な教育をとか?」
「協会の目的は村ではなく、村に接触しようとする“外”の人間でした」

 人の姿で舗装されていない道を歩いていると、がたがたと左右に揺れながら郵便局員が自転車を走らせてきた。帽子を上げ、どうも。と言う。ユウマは頭を下げた。木々が生い茂るその場所は常に陰と共にあり、相手の顔をよく見なかったことを反省した。彼にとってこれが初めての個人任務だと言えた。
 ようやく開けた場所に出た。彼は村の中心にあるという役場に向かう。郵便以外で外界からやってきたのは自分が初めてのようである。農作業をしていた村人が歩く自分に注目しているのを手の甲に移動させた目で見た。
 村役場の中に入るとおしゃべりしていた婦人の声が止んだ。まっすぐ、正面に居る人に向かって歩く。受付がここかはユウマに分からなかったが、鼠色のスチールデスクに座って、書類仕事をしているのだから役所の人間だろう。緑色の瞳を真正面に居た中年の男に向けるとほんのりと赤い唇を開き音を作った。
「転居届を出したいのですが」
 口から出る音は英語だとでも思っていたのか、男はユウマの声を聞くと暫くしてから動き出した。額の汗をぬぐいながら、
「引っ越してくるって人が居るとは聞いたんですがね、もうちょっとこう、日本人面していると思っててね、ヘヘヘ、あ、ワタシ、室宮と申します」
 そう言って立ちあがった。
「引っ越しは初めてかい?」
「はい」
「そうかい、そうかい」
 室宮はユウマに敵意が無いと知るや、頬を緩めた。先ず、住む場所がなくっちゃね。転居届は出せないからね。そう言って役場の壁に打たれていた釘にひっかけてある鍵束を手に取った。
「どうしてここに引っ越そうと思ったんだい?」
「自給自足の生活、素晴らしいと思いました。私は生きると言う事を学びたい。そう思いまして」
「若いのに、わかってるね」
 室宮は腹の肉を揺らしながら歩いている。役場から数分歩いた場所に平屋があった。扉は横に開いた。鍵を差し込んでいないのに。
「鍵をしていないのですね」
「鍵? ああ……、ここは泥棒もいないからね。でも、鍵はついている。これは、マスターキーみたいなものさ。間違って部屋が閉じちゃったときに開けるためだよ」
「開放的で、素晴らしいですね」
 本当はそんな事、これっぽちも思わなかった。人には踏み入れられたくない領域が必ずあると父に教えられた。坊ちゃんもそうだった。ポケットの中におはじきを忍ばせていたことがあった。「お父さんに見つかっちゃうと、取られちゃうから、だまっててね」と瞳を潤ませて話されたものだ。彼は力が強かったから、おはじき一つを飛ばすだけで死人が出る。子供の頃は、その力を制御できないから、同年代の子供が遊ぶ物は悉く禁止されてきた。
 ユウマは彼がおはじきを隠していたことを黙っていた。彼は太陽の光におはじきを透かして眺めていた。おそらく、父も彼が隠れて様々な遊び道具を持っていたことは知っていた筈だが、それでも取り上げることをしなかった。踏み入らないことの美しさをその時ユウマは知った。
 過去へ思いを馳せていると、室宮は埃っぽい室内に足を踏み入れていた。彼の後を追う。窓を思い切り解放し、埃を外に逃がす。くたびれた靴下で外に向けて埃を掻きだす振りをしながら。たぷたぷと腹肉が揺れた。
「家具が残っているようですが」
 埃を被っていたが、残された家具には生活の名残があった。
 以前住んでいた人が突然いなくなったという曰くがある。と室宮は説明してから、緑色の瞳を見てハッとした。
「たぶん、この村が嫌になっちゃっただけだと思うよ」
 逃げただけなんだ、脅かすつもりは無かったんだ、安心してちょうだいと室宮は言い、マスターキーを持って役場へ戻って行った。残されたのは埃っぽい家と、解放された部屋だけ。明日は学校に行かなければならない。
 少しだけわくわくしたのは秘密だった。
 ここは森が牢のように村を閉じ込めている。だが、牢の中には自由がある。それがユウマの抱いた村への印象だった。正義の者協会内部で機械に囲まれる生活を送ってきた彼にはそれが新鮮で、羨ましくも思えた。夏前、若葉と野に咲く花が美しかった。道を長く歩いてそれを知った。知らないことばかりだ。
 この村も知らないことばかりだった。外の流行、最近のニュース、連絡手段が手紙だけという閉鎖的な村の中で若者は何をしているのだろう。
 答えは内海という少年が教えてくれた。
 内海は初めて登校した学校、クラスのなかで目立つ少年だった。ざんばらに切った髪の毛を乱し、隣に座ったユウマに怖気づくことも無く話しかけてきた。外はどうなっているのか、彼はしきりに聞きたがったが、「村役場の人に、話すなと言われているから」と断った。内海はそういうとおとなしく引き下がったが、奇妙な来訪者であるユウマの事は大いに気に入ったようだった。それは、ユウマが内海のプライベートに関して深く詮索しようとしなかった事も理由にあるようだった。
「昨日の農作業で、父さんが出てこなかったとか、妹が誰と歩いて帰ってきたとか、そんな噂が、一日で村を駆け巡る。小さな秘密もこの村じゃあって無いようなもんだ。外は、そんな事がないんだろ? 隣の人と挨拶もしないんだろ?」
「それは、まぁ、強ちウソではないです」
 否定するのは辞めた。ユウマですら、この村独特の雰囲気に苦手を感じ始めていたのだ。
 役場近くの平屋、自分を見る人の目が何故だか苦手だった。
 ユウマの特殊な体では、自分の体内に携帯電話を収め、外部と連絡を取る事は苦では無かった。だが、その人為らざる形故に「生活音」を出すことが苦手だった。
 この村にやってきて初めての夜、正座をした状態で過ごしていた自分に対して室宮は「眠れませんでしたか?」と問いかけてきたのだった。

「私は内海と会話した夜、電話で初めて目的を聞きました。村の者に接触して来ようとする“外”からの人間を――“できれば”捕える。それが協会から与えられた任務でした」
 内海は生まれてからこの村で育った。小さな秘密すら漏れてしまうこの村で、隣の人間と挨拶しない関係がある都会のことなんて、何一つわかる筈がない。
 それなのにどうして、内海がその情報を知っているのか、それを探れと言うのだ。
 カランと音がして、先まで牛丼が入って居た器の中に箸が落ちた。その音に引き寄せられるように店員は近づき、俺とユウマの器を回収した。ユウマの思い出の中に浸っていた俺の脳が現実に戻る。
「戻りましょう」
「え、……ああ、うん」
 中途半端になってしまった話を急かしたくて、俺は店員に千円札を渡した。小銭でパンパンになった財布をポケットに、足早に部屋まで戻る。玄関で鍵を開け、子供のように続きを急かした。
「それで、任務はどうなったんだ?」
 ユウマは長い指を口に当てた。シッ、静かに。彼は部屋に戻ると話す前に生きた本を飲んだ。喉仏が上下するのを見てから質問する。
「記されちゃまずい事なのか?」
 彼は首を縦に動かし、指先を溶かして見せた。
「僕は“こう”でしょう?」
 黒く溶けた体が俺に纏わりついた。塊は俺の背に回り、人の形を作り出す。首と肩でクロスしていた塊は腕になり、肩に乗っていた塊が頭になった。後ろから抱きしめられる形だ。耳元で彼の声が響く。
「“できれば”捕えろと命じられたことが謎でした。“できれば”というのは、僕のように、形のよくわからない者が居る場合に語られる言葉です。人に害成す何かが。内海に聞きました。どうして外に興味があるのか、内海は、内海は……、よくわかっていないようでした」
「わからない?」
「ええ、月見君にもありませんか? ぼんやりとした、憧れのようなもの」
「ある」
 はっきり答えた。行けるなら、アメリカの大きなゲームショーに行ってみたい。
「彼もそうではないかなと思いました。外への憧れ、世界への憧れ……、彼は翌日、原谷の名を出しました」
「原谷って……あの、おしゃれな女の子が居る?」
 甥が住む山の手からほど近い場所に原谷はある。そこは独自のファッションが流行した商店街があって、若者でにぎわって居る。ここ十年の話だ。
「村にはテレビも、雑誌すら許されていません」
「そりゃ、変だな」
「彼はどこでその名を知ったのか思い出せないようでした」
 ユウマは内海と共に、村唯一と言える食道に居た時の事を話した。
 内海が席を立った隙に、内海が飲んでいた水を吸い、かわりに身体を忍ばせた。身体は水と同じ、無色透明な液体となり、コップの中に潜んだ。席に戻った内海は水もどきの身体に口をつける。ユウマの身体、その一部が内海の体内に入り込んだ。
 異物は脳へと昇った。そうして彼に浸透すると内海の目から見たユウマの顔が映し出された。今の自分と何ら変わらない、成長しないままの栗木ユウマがそこにいる。
 違うのは服だった。ユウマ曰く、学校の制服は学ランとセーラー服だったそうだ。薄い栗色の髪の毛に白い肌、学ランを着た美貌の青年が微笑んでいる。ナルシシズムの気は無いが、人に好かれる容姿だけあって美しい顔に出来上がっていると自分を褒めたくなったとユウマは語った。内海に向けて微笑んでみた。彼は頭を掻いた。髪の毛の間を縫い、指が触れる感覚を味わったという。むずむずとした話に、こめかみに指をあてて聞いた。
「どんな風なワケ? 人の脳に入るって」
 首を動かして彼を見ようとするが、肩の上に乗せられた、髪の毛と通った鼻筋、形良い眉、緑色の瞳しか見えなかった。瞬きが二回、間があってから彼は答える。
「テレビ画面が二つ、並んだ映像を思い浮かべてもらえればよいかと」
「の、脳に、入られた感覚は?」
「……、こんな感じでは?」
 ユウマは口から舌を伸ばしたんだろう。耳から何かが入り込んで、体の中を這っている。脳まで達したそれが俺の頭を擽った。突然笑いたくなった。部屋中に響く大声で。カユイ、頭がカユイ。舌が抜かれるとそれは治まった。
「僕はそのまま相手の脳に留まりました」
 内海はユウマの身体すべてを飲み干し、食事を終えると食堂前で別れた。内海の家はユウマが居た平屋とは反対の方向にあり、銀色のドアノブに鍵を差し込み開くと廊下と階段があって、昭和に放送されたドラマによくあるキッチンの風景があったという。つりさげられた電燈の下で、内海を待たず家族たちは食事を始めていた。ユウマは見たことが無かったが、彼は母から「お祈りしてごはん食べなさい!」と怒られていたそうだ。
 内海は自分の部屋に戻ると、制服姿のままベッドの上で横になった。目を閉じ考えている。この閉鎖的な村の事、変わることのない生活への疑問、外から来た僕の事、内海の思考が闇の中に呑まれていくのが解った。
 ユウマの体は役場から用意された家の中にあって、正座をし、電気を消した状態で息を殺していた。部屋の周りを誰かがうろついている。それは自分を監視する何かだとユウマは気が付いている。パキと小枝が折れる音がした。脳内で音が響いている。右脳と左脳に響く音が違った。
「一つは僕の住んでいた平屋の前、もう一つは内海の部屋の外、僕の住んでいた家の外から聞こえた音は遠ざかり、内海の家から聞こえてきた音は近づいた。小さかった音が大きくなり、何を語っているのか聞き取れる程になった頃、内海の脳はその日の記憶を整理していました。眠って居る時の映像を見たことは無いと思いますが、早送りされた一日の映像を、必要な部分だけをカットして残していると思ってください。たとえば、僕が彼の瞳に映って、彼に向けて笑った時を眠っている瞬間に残したとしましょう。その映像に声が被りました。それが、外の話でした。僕の映像に男の声で外の情報を伝えていくのです。内海がどこで外の話を聞いたのか覚えていないのも理解できました。聞いていたのではなく、“聞かされていた”のが正しかったのです。私は平屋を飛び出し、内海の家に向かいました。内海に囁きかけていた男は森の中へ逃げました。私は彼を追ったのです」
 ユウマの足でも追いつけない男は森の中を疾走した。月の光が見せる僅かな影が男の姿を朧に映したという。このまま翔けても追いつけないと知った彼は腕を伸ばし、木に一部を絡めると男を阻むようにネットを作った。男は彼を追う異形を知り、振り返ったという。にぃと笑った頬の端が耳まで裂け、そこから覗く白い歯にゾッとした。
 ああ、同族か。男は言う。
 同族?
「同族。彼は人ではないと言った瞬間でした。そうして地面に溶け、……ううん」
 ユウマは表現を考えるためか、やや言いよどんだ。
「地中か、影に溶けたのか、とにかく私の前から姿を消しました。報告の為に電話をすると、正義の者協会は私に帰還を促しました。私はそのまま森を抜け、協会に戻ったのです」
 俺を包む身体がゼリーのように溶けた。ゼリーの動きに合わせて俺の体も動くことになる。後ろにゆっくりと倒れて、天井を見た。手術台のような形だと思った。頭を持ち上げてつま先を見る。黒い塊が俺の体を呑もうとしていた。全て飲まれてしまったら、息はできるのだろうか、そこまで考えたことは無かった。人じゃないものに呑み込まれる恐怖、塊は俺の上半身を這い、顔に、思い切り息を吸い込んで耐える。頭の先まで呑まれた口に何か当たった。さっきため込んだ息が、恐怖からくる過呼吸で全部失ってしまう。だが、俺には酸素があった。目を開ける。ユウマがさっきまで着ていた服と、生きた本が泳いでいた。それに手を伸ばすが、先に塊が呑んでしまった。触れることは赦されない。
 塊を握った。泥遊びで指の間から泥がにゅうと出てきたような、奇妙な心地よさがある。
 脳の中に声が聞こえた。ユウマの声だ。
「ああ、試してみたかったのですが」
 脳天に達した塊が溶け、俺の顔はまた部屋の中、天井を見上げる形になる。
「声が聞こえたのなら、私の知る画を見せることもできるのではないかと。映画のスクリーンのように」
 それはできないみたいです。そうなんだ。と納得した。
「何を見せたかったんだ?」
「彼の、脳内です」
「彼?」
「内海です。内海の脳内。正義の者協会に帰還してから気づきました。視界に違和を覚えたんです。目覚めた内海の視界が残っていました。僕は内海の脳から、“僕”を回収することを忘れていたのです――、脳に私を繋いだら見えるかもしれません」
「俺の視界も見えるのか?」
「ええ……試してみますか?」
「副作用とか……無い?」
 不安より、興味が勝っていた。やってみよう。と覚悟を決めた俺の耳から細い管が昇る。これは舌じゃないと解ったのは、やや感触が違うからだろうか。これはもっと繊細で、動きが細かかった。俺にかける負担を和らげているような、人じゃない何かの優しさを感じた。
 脳に達したそれは、俺に映像を流し込んだ。多くの情報が流れた頭はなんだかむず痒い。目を閉じて、見ないようにしていたが、目を開けた。天井の蛍光灯、その一部に黒ずんだ部分がある事を気にしていたのだが、それがユウマに伝わったらしく、こんど、買いに行きましょうかと映像に合わせて声が脳を這う。ユウマの視界から俺は室宮と内海を知った。室宮はカーキ色のベストを着、腕貫をした中年太りした白髪交じりの男で、内海は眉の細い、そこらへんにいるような、少しぐれた線の細い少年だった。内海に語りかけている男も見た。奴は――奴は、確かに地面に溶けた。
 繋がるってことは、自分の思考が相手に筒抜けになるデメリットがあった。地面に溶けた瞬間、俺はそれがユウマに似ていると思った。彼はそんなことを考えたことが無かったらしく、俺の中に一方の映像を流すことを止めてしまった。森の中から正義の者協会に戻るまでのことだ。もう一つ、内海の脳内に居た画は内海が目覚め、制服のまま外に出た瞬間を記録していた。電燈なんてもののない、真っ暗な道を、内海は真っ直ぐ歩いていた。蛙の鳴き声と何の動物か、ガサガサと動く音だけが響いている。歩き続けていると光が見えた。提灯の光が三つ、家の周りをぐるぐるとまわっている。
「あれが、僕に用意された家でした」
 内海は光の合間を縫って窓を横にスライドさせた。真っ暗な部屋の中に踏み入る。「栗木」と呼ぶ声が誰もいない部屋の中に聞こえた。聞こえるのは自分の足音だけ、月の光だけでも、やろうと思えば探すことができるのか、内海がそれだけ根性のある少年なのか、彼は室内にユウマの姿が無いと知るや、暫くそこに呆然と立ち尽くし、家を出た。
 そして――、そのまま森に入った。
「内海は僕が逃げたと思ったのでしょう」
 そしてそれが外に出る方法だと思ったのか、月の光だけが照らす森の中は自分だけがそこにいるような、孤独な不安があった。笑い声が聞こえた気がする。これは実際に聞こえたのではないですか? それはユウマの答えだった。内海は歩き続けていた。月が沈もうとしている。朝焼けと青空が見えてきた。赤く色付いた光と共に、白い光が射した。草と、土、日蔭に咲く花しか見えなかった内海の目に灰色のコンクリートと白で作られたガードレールが見えた。その光景に彼は何を思ったのか、疲れのせいか感情までは判別しにくいが、棒になった足が翔けた。森を抜け、コンクリートに触れ、ガードレールを上手く越えきれず、よろめき転んだ内海の身体が欠けた。
 俺の口から声が漏れた。ユウマから流されていた映像が乱れる。現実と内海の見ていた映像がごっちゃになって、収拾がつかなくなった。細い管が耳から抜かれた。俺を包んでいた塊が離れて、ユウマの形を作る。「ええと」俺の声からまずそんな音が漏れた。
「内海の身体が欠けた」
「はい」
 否定してくれよ。繋がっていないので俺の思考は伝わらない。転んだ瞬間に利き手で地面に手をついた彼の指が、折れたというのは違う。欠けたのだ。ガラスが欠けたように。パキンと取れた。
「内海は欠けた手を見つめて、呆然としています。痛みはありませんでした。しかし、欠けた部分を最初の切っ掛けにして体に皹が入り、崩れ落ちていきました。皮膚も、内臓も、地面に叩き付けられて細かくなり、脳に潜んでいた僕の身体だけが軟性のあるものとして地面に落ちました。内海の瞳だった部分が残された僕を見て、崩れ落ちた欠片は通り過ぎた車に轢かれ、風に飛び、地面に擦られ、より細かな粒になっていきました」
 脳の中に居た内海に俺は同情した。疲れ果てて手に入れたものが崩れ落ちる運命なんて。一体どうして、理不尽な物語に憤りさえ覚える。陶器のような、こっちの方が壊れそうなユウマの手が頬を撫でる。
「正義の者協会は理由を望みません。……しかし、僕にも考えはあります。霊性の話をしましたね。その地域にはその地域にある霊性があって、様々な影響を齎す。時に守り、時に壊す。内海を含めた村の住民こそ、そこに在るべき、“森の外に出てはいけない人達”だったのだと考えました。だから、……森の外へ出てしまった内海は消えた」
「外の事を教える奴を、できれば捕えろって言ったのは……?」
「村の人を守る為、だと思います。その村はそこで、変わらぬ生活を永遠と送る事が大事なのです……、ところで、僕と消えた彼は似ていますか? 僕はそう、思わないんですけど」

2015/07/25

<<前 目次 次>>



↑戻る