なれそめ


 ガシャンガシャンガシャンガシャン。

 縦横の長さが人差し指サイズの大きなナットが目の前を流れていく。作業過程で生じた鋭い手触りを熱い内に修正するのが私の仕事だった。職場は暑い。全身防護服に金属熱を吸い込まないためのマスク、安全メガネもしなければならない。私は流れていく手のひらサイズの大きなナットを手に取った。ズシリと重い。これを研磨する。それが私の仕事だった。
 この金属はアンオブタニウムという異世界金属で成っている。異世界では大量生産されるこのアンオブタニウムを加工して、納品するのが我々の仕事だった。納付先はこの世界に限らず、他世界も含む。ずっしりと重たいこのナットを使うのはどのような人なのか、仕事中よく想像することがある。
 だが、今はその余裕がなかった。空調の故障で空気が淀み、それが理由か作業が遅れている。何度もレーンが止まる。その数日は皆、苛立っていた。汗をぬぐいながら、またレーンが動くのを待つ。奥から怒鳴り声が聞こえる。誰もがイライラしていた。

 休憩室にたどり着く前、喫煙室を通る。甘い香りと一緒に鼻を衝くタバコの臭いに顔を反らす。窓ガラスに反射して浅黒い肌の青年の姿が見えた。目があったような気がして目も反らす。急いでその部屋の前を通り抜けて休憩室に行きたかった。
 彼は砂羽さんという私の隣人だった。社宅で隣に暮らしている。口数が少なく、部屋を開けるとタバコの臭いと言い知れぬ香りが鼻につく。彼も私を見ると軽い挨拶はするが、サッサと目の前を去ってしまうので工場内で親しい人は誰もいないようだった。とにかく私は彼が苦手だった。部屋から、彼から香る甘い匂いに嫌な想像を膨らませていた。その、悪いものをやっているのではないか――と。

 ガン。

 彼を見て足早にその場から逃げようとしていた時だった。喫煙室内で喧嘩が起こり、ガラス扉に砂羽さんがたたきつけられていた。私は驚いて、当初、動くことができなかったが、暫くして思い直しガラス戸を開けた。喫煙室に籠っていた空気が外にあふれ出て、私は思わず顔をしかめた。こんな空気の中じゃあ、些細なことでイライラしてしまうだろう。と頭の片隅で思った。
私は砂羽さんを外に引きずり出した。彼は少し呆然としていたようだったが、突然の暴力にショックを受けることはだれしもあり得ることだ。声にならない声でわめき続ける同僚を羽交い絞めにする別の同僚にすべてを任せ、私は砂羽さんを引っ張って医務室へと連れて行った。私から見た経緯を説明すると医者はぼんやりする砂羽さんをベッドに寝かせ、私は午後の仕事へと向かう。

 昼の事件のせいかその後の仕事はピリッとしていつもより集中できた気がする。皆帰り際、昼に起きた喫煙室内での暴力事件についてそれぞれ噂しながら帰っていった。なんだか今日はとことん疲れている気がする。玄関先でいつもはすんなりと取り出せるはずのカギを何度も探した。やっと見つけた時に荷物を落とし、それを拾って深いため息を吐く。玄関扉も今日はなんだか重く感じる。靴を脱ぐ、直前。隣室から音が聞こえ、私は身を強張らせた。何か物を落とした時よりも大きい。とても大きなモノが倒れたような、そんな音だった。異音といって良い。それから壁を掻くような、ガリガリという音が繰り返され、ガン。ガン。と何かがぶつかり続ける。
 おそるおそる、隣の部屋――砂羽さんの部屋に呼びかけた。
「砂羽さん。大きな音が聞こえたのですが……」
 大丈夫ですか、と声をかける前に、もう一度、ドタンと音がした。
 何か獣がのたうちまわっているようだ。私がおそるおそる扉を開けると、砂羽さんが床の上に倒れていた。驚いて部屋の中に入る。
「大丈夫ですか?」
 顔の赤い彼を支え、とりあえず部屋の中に連れ入れる。浅く繰り返される息が顔にかかり、熱があることがわかった。
「救急車、呼びましょうか?」
「そこまでじゃ、ない」
「じゃあ、先生にお願いして――」
 私がそう言って部屋から出ようとした時、彼は強い力で私が来ていた作業服を掴んだ。
「いくな」
 そのままの勢いで引き倒された。後ろ頭を床にぶつける。彼は俺の上で作業着を脱ぐと部屋の中に満ちる甘い香りが濃くなった。
 あ。
 背が高くて、ガタイも良かったから気が付かなかった。彼はΩ性だったのだ。下着と一緒に引っかかる作業服を鬱陶しそうに脱ぎ捨てると、彼の屹立した性器が見えた。腹につかんばかりに興奮し、そそり立つそれは下着との間に糸を引くほど濡れている。細くて長いけれどしっかりした指がそれに絡む。目を閉じて腰をくねらせながら感じている様は気持ちよさそうというよりも「苦しそう」だった。
 あ。
 さすがに疲れ切っている私でも、Ω性の甘い香りに本能が刺激されてしまったのか、体が熱く、疼く感じがする。私は上半身を起こし、何とか息をしながら、暑さから逃れようと作業着のチャックに手を伸ばす――。
 はあ。と砂羽さんが深く息を吐き出した。彼は目を閉じているように見えたが、顔の角度が変わると薄目で私を見下ろしているのがわかる。私が作業着のチャックを少し下ろすと、彼は袖を掴み、力づくで私を持ち上げる。
 においを嗅いでいるようだった。おそらく私の持つα性のにおいを。
 彼の手の動きが速くなるとクチュクチュと水音を立てていた手の中に包まれていた性器から遂に白濁があふれ出したのだろう。コポリと音をたて手のひらのなかから零れる大量の精液が脱ぎ掛けた私の作業着の上に溜まる。
 一度熱が引いた。だが、クソっ、と砂羽さんが声を零すと私の腹、作業着の上にまた硬い熱がこもっているのがわかった。信じられないといった顔で砂羽さんは自分の手と、汚れた性器を見下ろしている。小さく震え、痛々しくまた繰り返す自慰行為が見ていられなくて、私は――、思わず彼の性器に指を伸ばした。ビクリと大きく彼の体が跳ねると、信じられないと言いたげな、驚愕した顔で私を見る。Ω性の香りが強く濃くなった。
 私は、驚き薄く唇を開く彼に口付けた。Ω性とα性の唾液交換は一種の催淫効果があると聞いたことがある。その通りなのか、彼の唇に触れ、唾液と舌を絡めた途端、互いの熱が一つ上がったような感覚になった。砂漠で水を求めるように互いに貪ると、息が苦しくなって吸い込むまでそれが続いた。
 私は彼の太腿に引っかかっていた作業着と下着を彼と協力して取り払うと、自分の作業服も脱ぎ払った。人生で初めて感じる強い興奮だった。いつの間にか自分を主張する性器を彼の性器とこすり合わせると、砂羽さんは声を振るわせて体をびくつかせた。それから、私は初めてΩ性の持つ特殊な性器に触れた。屹立した性器と排泄をする肛門との間にある、赤く濡れ、体液の溢れるその場所を撫でる。彼の身体が大きく跳ね、私の腕に絡んでいた彼の手の力がこもる。私は自分の性器を掴むとそこに先端を当て、軽く撫でた。
 砂羽さんが体をのけ反らせると、静かに先を受け入れた。私はその熱に包まれるままに体を動かす。互いの肉がぶつかる度に体液が溢れ、静かに床に滴った。腕に込められた力も今は抜け、律動だけを感じてくれているようだった。
 パンパンに腫れた屹立とその下にある玉が私の動きに合わせて揺れるのがなんだか滑稽に思えた。数度律動を繰り返し、腫れ切ったそれらに手を触れると彼は目を開いて私を見た。そうして浅く息を繰り返し、のけ反ると私の手の中に暖かな彼の体液が満ちた。
 それから私は彼の中から引き抜くと彼から発せられた体液で自分の性器に触れ、自慰をした。

「すみませんでした」
 熱を放出した後、バスタオルで体を包み、換気をし、一通り体を清めてから彼に言った。私が放出した精液で腹から胸から汚した体を濡らしたタオルで拭きながら、床の上から動かずにいる彼に言う。未だΩ性の持つフェロモンが漂っているのか、彼の体に触れる度熱が移る気がする。彼は額に張り付いた前髪をだるそうに掻きながら、何か言いたそうにはしている様子だったが、言葉にできないようでもあった。
「助けに来たはずなのにこんなことになって――」
「――アンタは十分、助けた」
 彼はようやく身体を起き上がらせた。太腿から股間に渡って溜まる体液を私から半ば奪い取ったタオルで拭きながらそういう。
「気づいたんだろ」
「はい。Ω性だったんですね」
「そうだ。最近、皆がカリカリしてたのもわかるだろ」
 そこで私はハッとした。工場は重い金属部品を扱うため、力持ちのα性が多い。作業が粗くなり、納期も遅れ、みんな静かにカリカリしていたのは彼がΩ性で、フェロモンを抑えられず、それに皆反応してしまったからだったのか。ようやくわかった。
「薬は多めに飲んでいる筈だったのに、クソ」
 彼はそう呟いてベッドの片隅にある薬瓶を見た。
「まぁ、……アンタとのセックスでしばらく収まるだろ」
 彼は私を見てそう言いながらタバコに手を伸ばした。フワ、と香る臭いは休憩中感じた匂いよりも大分マシだった。彼はそれを体の上で振る。まるで自分に浴びせるように。
 また私は気が付いた、彼はそうして自分のΩ性故に香るフェロモンの匂いを誤魔化していたのだ。一通りタバコを吸い終わると彼は腰を上げた。足を伝う体液をパタパタと床に落としながら彼はシャワールームに消えた。

 部屋に残された私にできることは汚れた室内の清掃くらいだった。工場業務には清掃もあるから、私は自然と清掃が得意になっていた。本能のまま行った行為の痕も、彼が戻ってくるまでには消し去っていた。
 問題は、帰るタイミングを失した私自身で、彼がシャワールームからは戻って来た時、汗まみれの作業着を再び着て、正座する私を見て心底呆れた顔をするのだった。
「……なんでまだいるんだ?」
「すいません。その、責任の話が大切だと思いまして」
「ハ?」
「私があなたに、その、してしまった行為について……」
「――アンタ、本当にクソマジメだな」
 彼は濡れた髪の毛をガシガシと拭きながら私の隣に腰掛ける。私を見た後、顔をツイと反らした。そしてまたタバコに手を伸ばし火をつけて吸う。そうして言った。
「でも、アンタも良かったろ。俺を見る度にイライラしてたみたいだし」
 私は驚いた、気づかれていたのだ。恥ずかしくて申し訳ない気持ちが足元から上がってくるようだった。私は項垂れたが、その後、彼はこう言った。
「オレも、アンタを見る度イライラしてたし。理由がわかって良かったじゃん。……互いに」
 彼が髪の毛を掻きあげた時、私は体が疼くのを感じた。そうだ、これがイライラの正体だ。イライラ……というか、Ω性を前にした“疼き”の現象だったのだ。それを私は彼に対して「合わない」と思い込み断じただけのことだったのだ。
「――もし」
 彼は今度、私をしっかり正面から見た。
「未だ疼くなら、もう一回ヤってもいいけど」
 私が言葉で答える前に、ズクズクと体の中央に熱が集まるのがわかった。
 そしてそれはどうやら彼も同じらしい。私は頷いた。

 翌日、外部からやって来た空調整備士が巨大なファンをうごかした時、我々は皆、誰ともなく拍手した。彼に対して攻撃的だった作業員(聞かずとも彼はαだろう)は頭を下げ謝罪し、彼もそれを許す。一件落着という訳ではない、砂羽さんには一定の傷害手当が出された(私がこの職場を愛する理由の一つだ)し、相手が異動になったからだ。砂羽さんはそのことに関して、「ま、それでいいんじゃね?」という態度だ。
 
 砂羽さんはよく喫煙所に居るので見つけるのは容易い。彼も喫煙所からよく私を見つける。よく話をするようになり、互いが不調に陥ればそれを補う関係になった。
 私と彼は以前よりも親しい関係になり、それから暫くして夫夫になった。


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なれそめ
20241007

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