思春期αがΩとすれ違うだけの話
モニターの前に駆け込んだ、キーボードのスペースキーが魔法の杖。押したら始まる映画の再生。おどろおどろしい一画面。モニター前の気分は最高潮。笑う俺、思い出して快感に震える青春映画。映画が始まってすぐ飛び込んできたのは女が死ぬシーンと、それを見てオナニーする変態犯罪者。興奮がスゥと冷めていく。何だか一方的に興奮してる今の俺と犯人、似ている。出会いは今日の入学式、十五歳の春、新入生として踏み込んだ足、海山西高等学校。コンクリートの階段ルンルンで上って、桜舞う中踏み込んだ敷地、香るやわらかな匂い。空は桜と混ざった柔らかな色。
「自分の名前が書かれたクラスに入るように」
叫ぶワイシャツ姿の教師を横目に、学校内に踏み込んでいく。自分のクラスを探す奴らで、同じ中学出身じゃないヤツは、すれ違う俺を見て口をポカンと開けていく。気分は悪くない、いつだって俺は目立つ。診断で決められたαの特徴である身体の大きさ、産みの親から引き継いだ悪くない容姿。クラスを見つけ乗り込んで、とりあえず空いている席に座る。一クラスだいたい三十人、俺は窓際の列から一つ離れた、二つある出入口から見て四番目の列の一番後ろに座る。「入学おめでとう」と爽やかに言う教師に連れられて、これからゾロゾロと入学式へ。体育館へ近づくにつれて、強くなる鼻腔をくすぐる甘い香り、品もなく鼻を動かす。そうして気づいたことが。香りは先輩たちがいる列の中から匂っていることがわかった。
「なんかいい匂いしなかった?」
中学から同じクラスメイトに聞いてみる。
「いや、何も?」
あっさりと否定された。
体育館の中を漂う甘い匂い、大人の話も右から左に流れて、何も頭の中に入ってこない。中にはとっても大切な、大人な話もあったかもしれないが、気づけばそれも終わっていて、俺は流されるままにまた教室へと戻る。香りは遠ざかる。あの匂いはなんだろう。今まで生きてきた中で、一番良い匂いだった。
気が付けばクラスメイトは帰り始めていた。机の上に載っていたプリントをカバンの中に入れて、教室を出る。
あ、また、甘い匂いだ。
香りの方を見る。廊下の窓から差し込む光に照らされる青年が見えた。
同じ学生服を着ている男子生徒だった。髪の毛一本一本が太陽の明かりに照らされて光り輝いて見えた。眼鏡の向こう側にある瞳は茶色く輝いていて、赤く染まった頬にやわらかな肉が付いている。
彼が瞳の中に入った瞬間、「食べたい」と思った。その肉体を貪り食って、口の中に放り込めば香りは鼻腔から突き抜けて体内を巡るだろう。そうして体の中で一つになるのだ。いや、まて、ふつう胃で消化されてしまうのではないか?
青年は俺と顔を合わせた後、逃げるように目の前から去ろうとする。後姿を追いかけて、肩に手をかける。無理やり振り返らせた。髪の毛が踊るとその隙間から強い芳香が俺を襲う。
先ほど見た時は僅かに赤らんだように感じていた頬は真っ赤に上気して、浅い息を繰り返す。彼は勢いで俺の腕を振り払い、また逃げ出そうとした。学校の学生服には学年を示すバッジが付いている。彼の首元にはローマ数字のⅢが記されたバッジが輝いていることを見逃さなかった。
俺を振り払い、逃げる彼を追うことはしなかった。だが、その場に残る余香に肉体が変化を起こす。身体が熱くなって、下半身を覆う制服が窮屈に感じられた。トイレに入り、前を寛げると熱に手を伸ばす。アメリカ映画ならいじめられっ子が閉じこもったトイレの天井とドアの隙間から、水が浴びせられるシーンだ。入学式終わりの放課後にそんなことをする奇特な奴はいなかったが、頭の片隅をいい予感と嫌な予感、二つが駆け巡っていた。
学校での自慰という変態的な行為の後、朝来た道を小走りで駆け戻る。コンクリートの階段を降り、バス停を抜け、商店街を右手に通り過ぎると、児童館、公園、川を隔てる橋を超えてコンビニが見える。このコンビニに近い場所に生垣で囲われた屋敷がある。ここが俺の家だ。
門を潜り、玄関で靴を脱ぐ。バタバタと二階への階段を上り、部屋に籠る。パソコンを付けサブスクで見ることができるホラー映画を探した。序盤に男が自慰行為をするシーンがある。映画の造りは上手く、不快感を煽るのが上手い。悪い予感はここにある。少し違えば自分も彼と同じようになるのではないかと恐怖を抱く。さすがにここまで猟奇的なことはやらないと思うのだが。
映画を止め、ページを変える。今度は恋愛映画を開く。再生ボタンをクリックすると、配給会社と製作会社の表示があって、これから恋愛に陥るであろう俳優の片方が登場する。
良い予感は、彼がもしかしたら、自分と番と呼ばれる存在ではないのかと淡い期待を抱いたことだった。真っ新な保険の教科書を手に取り、眺める。「α性とβ性とΩ性」とタイトルがある章を見る。
――αは平均的な人口を考えても体が大きく、活力に優れる。αはΩのフェロモンに影響されやすく、暴力性が増しやすいという欠点がある。
中学生の時、二次性へのチェックが行われた。当時からも体が大きく、感じていたことだったが、結果は「α」だった。まぁ、順当な結果だと思う。遺伝上の母に父はαだったし、特に俺は父に似ている。
遺伝上の母と父は、周りの奴らから厄介者として扱われていた。素行が悪く、家のモノを勝手に持ち出し、叱られるも聞かなかった。ある日、ネックレスを持ち出し、家族でドライブに出かけ事故に遭う。そうして、オダブツ。
俺は本家に引き取られて現在に至る。
「なんて映画」
「わ゛ぁあ!」
後ろから声をかけられて飛び上がった。次姉の秋美だった。絵具まみれのエプロンを着て、顔にも絵具がついているのだが気づいていないらしい。
「――スプリング・クリスマス?」
「春なのか冬なのかわからない映画名ね。駄作」
ごはんだよ。と告げると姉は部屋を出て行った。ドアノブに絵具が付いていることに気が付いて、またかと思う。次姉は同じ高校の二つ上の学年に居る。
「姉さん」
ドアノブに付いた黄色い絵具を気にしつつ、姉についていく。手すりにも黄色い絵具がついていた。
「姉さんの学年で、眼鏡をかけた――、黒髪の、男子生徒、いる?」
秋美姉さんは立ち止まって俺を振り返った。
「たくさん」
当たり前だ。俺だって眼鏡をかければそれに該当する。間抜けな質問に自分でも嫌になった。
既に家長である祖母のハルを中央に、母の夏樹、父の海彦、長姉の秋穂、その夫の竜義義兄と食卓を囲んでいた。今日は天ぷら。
先に次姉の秋美が手を洗い、その次に俺が。次姉が忘れた水入りのコップを持っていく。
「入学式で番に会ったらしいわ」
歩きながら飲んでいた水を吐き出しそうになった。食卓が一瞬凍る。祖母は母に「薬を準備してやりなさい」と命じる。母は「はい」と答えると祖母と長姉が時折飲むことがある薬瓶を持ってきた。
しわがれた祖母の指が瓶の一つを指す。中には真っ赤な色をしたカプセルがたくさん入っていた。
「これは興奮抑制剤、攻撃性を防ぐ」
もう一つの瓶には白い錠剤がいくつも入っている。
「これは臭覚を鈍らせる薬だ。Ωのフェロモンを感じなくなる。どちらも一日、食後に一錠飲めば良い」
祖母が話し終えると長姉が、義兄から醤油を受け取りながら俺に聞く。
「ねぇ、番はどんな人なの」
「三年生らしいわ」
俺が話を始める前に、次姉が補足した。たしかに。三年生であるという情報しかわからない。
「それ以外はわからない」
素直に話した。なぁんだ。ガッカリとした空気が周囲に広がる。
俺は食事を途中で止め、相手を止められなかった言い訳を探す。
「匂いに惹かれて――、多分向こうもそうだったと思うんだ。彼の方から俺を探しに来た。でも、話をする前に逃げてしまった。その、……」
言葉につまる。水を飲む必要があった。
「こういう熱は初めてだし、彼に会った時、その体を食い尽くしてしまいたいと思った」
「バカね、その勢いで食わないと」
「秋穂」
母が制した。義兄が嬉しそうに笑ったことを俺は見逃さなかった。
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思春期αがΩとすれ違うだけの話
10周年で小説も書きたいと言っていたのですが、上手いことまとまらず、でもなんだかせっかくここまで書いてみたのだしという気分で年末にお焚き上げ気分で公開してみました。南無。
20231230
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