或る夫々


――いらっしゃいませ、こちらにお立ち下さい。
 人間の声のように聞こえるが、その抑揚は平坦で、よく見ると動作にもぎこちなさを覚える。未だ完璧なヒトではないが、おそらく数年後には完璧なヒトになるだろう。
「こんにちは、カボスさん」
 男はカボスと呼ばれた美しい女性にただ見つめられた。ピポッという機械音の後、プシュウと音がしてゲートが開く。
――ようこそ、飯島様。ヒビノ商会へようこそ。社長室までご案内致します。
 真っ白で塵一つない廊下をカボスと飯島は歩く。窓の外にはヒビノが作り上げた巨大な工場がある。流れるベルトコンベアの上にはそれぞれパーツが載せられていた。手足、胴体、頭、その中身となる機械。
 それをまた機械が拾い、組み立てていく。
 二人のいる場所からは完成形は見えないが、完成した機械は人の様な形になり、出荷される。今の所は正義の味方がいるという組織の下に送られて、人では出来ない仕事をするらしい。
 入口に居たカボスという女性はこの工場を守る人工知能の名前だという。彼女は受付と言う名の門番だと誰かは言う。
 カボスは最奥の部屋に掌を翳す。認証式の鍵が外れると「どうぞ」と言って頭を下げた。ドアがスライドする。何となく、飯島も会釈をして中に入った。
 よくできていると思うのが、彼女は飯島の姿が見えなくなるまで見送っていることだった。
 扉がしっかり閉まった音がすると、飯島は奥へと進んだ。左手には工場を見ることのできる巨大な窓、右手には部屋を仕切るための厚いカーテンがある。それを開くと一際大きなデスクに座った社長の日比野が顔を上げた。両壁一面に張り巡らされた本棚を見て、またファイルが増えたなと思う。部屋の壁と床、その白さに対した黒いソファーに腰掛けて、「急に呼び出されて、びっくりしたよ」と飯島は言った。
 日比野は席を立つと彼の“隣”に座った。そうするのが当たり前だと言わんばかりに。左手の同じ場所に同じ形の指輪が光る。夫々だとわかる。わかりやすい証だった。
「部下に言われた」
「うん」
「不機嫌が過ぎると」
「うん」
「君と、セックスしていないからだと言われた」
「うん……えっ、それで?」
「……」
「それで呼び出したのか?」
 日比野は顔を赤らめ、目を逸らした。それで呼び出したらしかった。
「僕も仕事があるんだよ?」
 不満げな飯島に「悪かったと思っている」と絞り出すような小さな声で言う。飯島は心底呆れ、同情もした。社長机の後ろにもベルトコンベアが並ぶ巨大なロボット工場が稼働しているのが見える。彼はこの工場を支えている大事な“部品”の一つだ。欠けることはできない。決して、欠けることは。
「もう……、脱いで、下だけでいい」
 立ち上がり跪く飯島の手が日比野のベルトにかかった。
「カボス、鍵を閉めろ、ガラスをスモークに」
――はい。わかりました。
 日比野の声の後、カボスの声が部屋に響く。透明なガラスがスモークガラスに変化した。飯島の指が日比野の体に触れると、彼の体は小さく震えた。
「思うことがある」
 日比野は体をソファーにくつろげ、体を這う快楽を感じる為に目を閉じながらそう呟いた。
「セクサロイド開発は何れ避けて通ることができない。だが、どうすれば性的な興奮を覚えていると捉えるのか、熱感知と呼吸数だけでは難しい。運動後、熱中症、風呂上り、病とどう区別をつけるのか」
 深い息を吐き出す。
「判断を誤ると大事な事に気付けず、危険に気付けない。テストに対する課題も多いだが、」
「……こっちに集中してくれ」
「ン……」
 唾液で光る唇で注意され、日比野の眉間に皺がよった。指摘されずとも、もう話続けるほど余裕はなかった。長い付き合いで知りつくされた弱点は簡単に刺激され、口の中で弾けるまで、そう長い時間はかからなかった。

 社長室に据え付けられたシャワーと洗面台を見て、贅沢だなといつも思う。
 僅かな菌類が精密機械に悪影響を及ぼすこともあるから。と仕事熱心な日比野は言うが、飯島がこの部屋に入るのは社長室で「致した」後だけだ。
「いつみてもキレイな絵だ」
 分厚いアクリルの壁に埋め込まれた絵、それはこの社長室のシャワールームにしか置かれていない。不適当な場所だと思われるかもしれないが、この場所がこの絵の置き場として正しいのだそうだ。
「嫉妬に狂った祖父が父と母に見せる為に作り上げた。晩年の秀作だ。面白い事に、私に受け継がれ、今も子を睨んでいる」
 音の籠るシャワーブースからそう聞こえた。
 日比野の祖父と母は画家だった。この研究工場は彼らの残した莫大な資産を投資して作られた。日比野は自分が社長になれたのは「運」だとよく言う。父が「新しい芸術は多分機械によって作られるから」と考えたことに影響されて、「ついでに社長になっちゃえば」という勢いのまま、進学して、就職して、会社を興し、それが巨大な工場となった。
 単純すぎる言葉でのしめくくりだが、才能があったのだろう。
「道が違えたら画家だったのかな」
「その才能は無かった。私は父に似ている。何かを見つけ、導き出す才はあったが、自分で作り出す力は無かった」
「お義父さんも無かったんだっけ、画才」
「ああ。見れたものじゃない」
 一族の画才は弟の奏が受け継いだ。ただ、彼は金銭的感覚に乏しい。彼の妻は三人の子供と夫の手綱をしっかりと握り、毎日大変そうだ。
「僕も行かなきゃ」
 頭の中を走り回る義妹の存在を思い出し、仕事しなきゃとスイッチを切り替える。
「もうそんな時間か?」
「そんな時間だ。ホラ、服を着ろ。社長に戻って」
 未だスイッチを切り替えきれていない夫の甘ったれた声をピシャリと一刀し、行動を促す。バスタオルで体を拭かれながら叱られる姿は子供のようだった。愛しく思ったのか飯島はキスをした。スーツに水滴がつくことは気にしなかった。

「カボス、鍵を開けろ、夫が帰る」
――ハイ、扉を開けます。
 社長室の扉の前、別れる瞬間ギリギリまで指が離れなかった。
「じゃあ後で」
 どうせ家でも会うのにと互いに思うのだが、出来れば四六時中一緒に居て、偶に離れるくらいの頻度が良い。そんな事を話した日があった気がする。
 横に開く自動扉が閉まり切るまで二人は互いを見ていた。扉が全て閉まった後、一拍置いて飯島は長く白い廊下を戻る。
 カボス、スモークを解除してくれ。おそらく、社長室の中でそう言っている事だろう。
「カボスさん」
――“お疲れ様でした”。お車を用意しておきました。
「ありがとう、使わせてもらうよ」
 にっこり笑う彼女はいつ休んでいるのだろう。

 カボスという人工知能は正義の味方が居る組織が運用しているソフトウェアだという。彼がどのような“コネクション”あって、それを製品化できたのか、謎は多い。
 飯島がカボスについて知っていることは、セキグチグループの開発で、正義の味方が組織するグループで磨かれ、それがヒビノ商会のロボットに搭載されていることだ。

 飯島楽が日比野衡と出会ったのは、ヒビノ商会の新しいロボットのお披露目会場だった。立食式のパーティに慣れないセキグチグループ末端の飯島と、ヒビノ商会の社長として会場に臨む二人が話す事はなかった。
 その後、二人が会ったのは同じ場所で開かれたゲイ向けのお見合いパーティだった。二人が二十代後半の出来事だ。
「君は会場に居たな」
「お、覚えててくれてたんですか」
 飯島は汗だくだった。
「し、仕事場では言い難くて。嫌な予感はしてたんです。お見合い会場とヒビノ商会のお披露目会が同じ場所って」
「立食パーティのセットをそのまま見合い会場に流用が出来るからな。……私もパートナーが欲しいと思うことがあって、主催した」
 主催が日比野であった事に飯島はその時、気付いて思った。品の良い人が多い筈だなと。
「パートナー探すって大変ですよねぇ」
 適当な相槌だったが、日比野も頷いた。
 
 その日、パートナーは見つからなかったが、飯島と日比野は連絡先を交換した。時折に連絡を取り合っては、仕事の話を半分、プライベートな話を半分。
 次第に理想の恋愛や将来の夢、そんな情報を交換し続けている。
 転機、いや、切欠があったのは二人がそうするようになって二年経ったころだった。

 店には大きな絵が一枚飾られていた。華山某という画家の作品である事くらいは飯島も知っていた。その絵を眺めていた背の高い老人が店に入って来た二人を見て近づく。
「やあ、ハカリさん。お久しぶりです。隣が飯島さん? はじめまして。私は、日比野輝、衡の父です。いやぁ、逢えてうれしいなあ」
 ロマンスグレーの髪をオールバックに纏めた中年の筈なのだが、その場に居た飯島よりも活力に満ちていた。踊るようにしなやかに動く。面白い人だというのはすぐわかった。
 奇妙な夕食が始まった。
 食事が運ばれて来るまで、衡は話す。
「祖父……私の母の父だが、あそこの絵を描いた華山魁がそうなんだ」
「へえぇ」
「母は華山ミチル。こちらも画家だ。セキグチグループの受付に新しい壁画が飾られただろう。あれが母の作だ」
「へえぇ……」
「父は二人の助手として研鑽を積み、多くの画商と交流を持ち、学生から若手画家に支援をしてきた。芸術界の商人だ」
「へぇえ……」
「君は面白い人ですね。目が、とてもキラキラしている」
 輝は朗らかに笑った。
 食事が運ばれてきた。飯島がステーキを一切れ食べ、もう一切れを口に運んだ直後だった。衡が輝に向けて口を開いたのだ。
「――父さん、彼を夫にしたいと考えているのです」
 飯島は肉をそのまま飲み込んだ。
 輝は「そうなんだ。飯島さん、息子をヨロシクね」とアッサリ言った。それだけだった。飯島も「は、はい」と答えた。
 ただ、それだけだった。

 セキグチグループのガラス張りの社屋が見える。昔を思い出したら嬉しくなって指輪を少し食んだ。前で停まると運転士は運転席から降り、後部座席を開ける。
 礼を言いながら降りて――、特徴的な黄色いスーツが見えた。
「調度よかった。でかける処なの。乗せて下さる?」
 社長、この場合はセキグチグループの社長、赤口オサムだ。彼は運転士に声をかける。運転士は「もちろんでございます」と頭を垂れる。
 赤口の美しくメイクされた瞳が飯島を見下ろした。
 右の口角を上げると、意地悪く言う。
「ヒビノ社長、お元気?」
「は、はい。元気です」
「そう、最近ピリピリしているって聞いたから、心配だったのよ」
 ならいいわ、ホホホ。音も無く社長は高笑っている。そんな気がした。

2020/02/07

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