先生と私


華山魁先生へのインタビューからある記録


 日比野が俺の助手になってから七年、八年経とうとしているが、ヤツの親父との付き合いを考えれば、アイツが生まれた時に俺は会っている筈だ。この取材を受けた後に思い出したことだが。
 「テルだよ」とにこやかな顔で言われながら、ぎこちなく子供を抱かされた時、家族と呼ばれるものにとって鎹の役目を担う子供の深さを思い知った。
 そう考えりゃ、俺にとってテルは最も憎むべき存在なのにな。
 ユキト(日比野輝の父の名)を想ってた俺は、結婚しても俺の処に来るという根拠ない自信に満ちていた。ケーキと塩鮭描いた頃も、結局主食に戻って来やがるのだから、大丈夫だと。
 ユキトは俺から離れ、俺の世話を継続してはくれていたとしても心は妻の処に居た。早々に嫁を孕ませて、生まれた子供の責任取るために美術教師という道を選ぶ。そう考えりゃ、テルは俺にとって憎いガキだ。
 紅子(華山魁の前妻)と結婚したのは適当に付き合ってきた女の中で一番紅子がユキトに近かったからだった。と言っても、100点満点中、20点ぐらい。飯は作るし、掃除もするし、妻としてはよく尽くしてくれたんじゃねぇかな。

 四十二歳、娘が中学生になった頃に夫婦生活にピリオドを打った。っていうか、俺に家事と育児を手伝う力が無さ過ぎて紅子に色んなものを押し付けたのが原因で、子どもが生まれて直ぐ“離婚”は決意していたらしい。
 ミチルが中学になるまで離婚するのを待ったのは、一応紅子なりの教育論があったからだ。娘の事は嫌いではないが、俺は親になるのに向いて居ない性分だったことを思い出させてくれるから辛く感じる時もある。
 娘というか、子供が欲しいと思ったのもテルが原因だ。ユキトが持った「子供のいる生活」というやつを俺も堪能してみたかっただけだ。
 結局、俺は二人の人生を弄んで「クソジジィ」と呼ばれるに至るんだからやっぱ、結婚に向いて無かったのだと思うよな。
 家族は欲しかったが、欲しい家族の相手は学生時代オレの周りを世話して、くれたユキトと、が望みだったんだと思う。あの頃はそんな思想や意識なんてのは無かったけど、永遠にこの時間が続いてほしいと願う瞬間が誰しもあって、俺にとってそれがユキトと過ごした大学生活のワンシーンだっただけの話だ。

 離婚したあと、これからどうしようか悩んでいた頃、ユキトが息子を連れてやってきた。俺にとって憎たらしいガキ。だが、逢ってみて驚いた。あの頃、大学生活を共に過ごして来たユキトと同じ顔仕草の奴がやって来たのだから。
 ドラマチックに言うなら、止まってた針が少し動いた。
 就職活動に失敗して腐り切ってるという息子を、助手にしてやってくれと頼んだのは、自分に似た性質を息子も持っているという計算があったのだろう。ヤツはやっぱり俺の事よく知ってると思うよ。
 事実、テルはよく働いてくれてる。あの頃のユキトと同じようから、あの頃のユキトよりもよく働くようになった。
 俺が今、テルと常に仕事をしたいと思っているのは、いつか俺が地に還って、テル一人になった時、俺が学び感じた芸術の造詣が奴にとっての財産になって、後の生涯を助けると思ってる。俺のことを面白可笑しく記事にしているのも、死んだ後にそれが価値となるなら許すべきだろう?

 だから俺は、今ミチルが少し憎い。オレより確実に永い時をテルと過ごすようになるからだ。そしてミチルは俺のように伸びていき、俺が死んだ後、俺が描けない年老いた男を描ける。

 こういう関係は世間一般に認められるものではないが、俺はテルとミチルが子供を成すべきだと思うこともある。我儘クソジジィが死んだら、後にあの二人は一緒になるのだから、そういうのは早いほうが良い。今の俺なら金だけは無尽蔵に出してやれるから、ミチルが子育てするなら援助してやる準備もある。
 でも、今のテルの時間は俺が貰っとく。以上。他に聞きたいことは?

2019/10/02

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