日本に戻ってきた時、俺は二十二になっていた。芸人、ということを考えると今から弟子になったとして、自分より若い先輩がいるかもしれない年齢ではある。
 先ず家を探すことから始めた。少しの貯えができたからって無駄遣いはできない。今の貯金で何とかできる家を探して、意外とこれは何とかなった。わけありの四畳半に小さなピアノ一つ置いた。それだけは、今まで学んだ時間を残すものだから、失ってはいけない気がして。
 問題はその後だった。弟子入りを狙って師匠の事務所にアポをとることが難しかった。
「いやぁ、弟子はとってないんです」
「そこをなんとか」
 それこそ落語の演目中のような、頓狂なやり取りが続く。痺れ切らせた俺は師匠と呼ばれる人の家へ押し掛けた。すんません、弟子にしてほしいんですけれど。
 師匠は意外にも快く俺を中に通してくれた。
「して、あんた、若いっちゃあ若いけど、今まで何してましたのん」
「はい、ドイツで音楽を習っておりました」
「ドイツで音楽を? こらまたけったいな」
 奥様は「ねぇ、一曲弾いてもらいましょうよ」と言いながらお茶を出してくれた。
「そや、娘のピアノがありますさかい」
「はい」
「ちょっと一曲、引いとくんなはれ」
「はい!」
 ピアノの蓋を開け、キーカバーを外す、何を弾けば良いのか逡巡し「何を弾けばいいんでしょう?」と師匠に問いかけた。
「そんなもん、あんさんがかんがえんさいな」
「はい」
 考えた末、俺はプロコフィエフのソナタ二番を弾くことにした。
「うん、うん」
 演奏を聴いた師匠は腕を組み唸る。
「結果は後で伝えますから」
「はい」
「こちらに連絡先と、あと、名前をここにね……」
 前向きにお願いしますと頭を下げ家を後にしてすぐ、携帯が鳴った。
――いやね、あんたはプロの音楽家としてやっていったほうがいいんとちゃいますやろか。

 落語の師匠の家に押しかけたことは一つの小話を生んだ。押しかけ弟子というタイトルで、スキルを持った賢い人が頭の悪い大工の師匠に弟子入りに行くという話で、大工の師匠は頭の良い弟子をとり指導するのだが、弟子はなまじ頭が良いものだから、こうしたほうが早いああしたほうが早いといろんな意見を出して師匠の仕事を取ってしまう、終には師匠が「弟子にしてください」と頭を下げて落ち。素晴らしい出来だった。
 話題を提供した俺は、二年の間弟子入りもできず、貯金を食いつぶす日々だった。押しかけられるところには押しかけたが、落語界というのは横のつながりがあるから、「なんだあんた、うちにも来たのか」ってちょっとした有名人だ。そうなれば俺も、落語家にはなれないってことを悟る。ドイツの大学でピアノをやっていたって経歴がまさか足を引っ張るなんてさ。部屋の片隅に置いてあるピアノを見るのも嫌になってカバーをかけた。完璧に物置になった。習っていた楽譜もすべて、ひとつにまとめて物置の奥へしまいこんだ。
 まだコメディアンになれない訳じゃない。芸人の道に進んでから落語家になる人だっているじゃないか。有名な養成所の資料を取り寄せて入学願書を出した。合格通知は数か月あとに来た。ガッツポーズをして大声を出し、管理会社に怒られた。

 養成所はなかなか厳しかった。芸事の世界は音楽界と似ているけれど少し違う常識でできている。世間に反しても面白い人が勝ち上がるシステムで、俺は何とか相方を見つけ、ドイツ時代の経験を生かしたネタをいくつか考えてきた。ピアノ伴奏は常に一人で、……たまに、ルイと共演することはあったけれど、あれは、例外。
 生徒が一人減り、二人減り、っていうのは実力主義の世界ではよくあると音大時代に学んでいたことだ。俺よりも若く、勢いあって面白い奴はたくさんいる。落語と違うテンポに戸惑い、相方のやる気なさにまた戸惑い。
 卒業後も何とかコンビとして生きていけることにはなったけれど、卒業してすぐ、相方に彼女ができて、「結婚させるためにはまともな仕事につけって言われてさー」とへらへら笑いながら言ってきやがる。
 無理やりに相方を止める気はなかった。芸人としての轍を踏ませてもらっただけでもありがたい。もともと俺は一人でやっていくタイプの男だったのだから、今更こんな状態になったとて慌てずともよい。
 マネージャーさんなんてものは付かなかったが、ピン芸人としていくつか仕事はいただけた。コントライブでそこそこ名が知れて、TVのオーディションを受け始め、ピン芸人向けの大きな大会で準決勝に行けるようになるまでは四年かかった。
 このころには先輩とも仲良くなり始め、ピアノのある狭い四畳半の部屋に初めて人を招待した。
「これなに?」
「ピアノです」
「なんで布、かぶってんの?」
「弾かないんで」
「弾けるの?」
「弾けますけど、壁が薄くて」
「弾いてみて」
「怒られますよ」
「うん、謝るから、引いてみて」
 俺は……深夜にうるさくないだろうとジムノペティのサティを弾いてみせた。聞いたことあると言っていた酔っぱらった先輩はそれを聞きながらいつの間にか眠りにつき、隣の人による壁ドンに頭を下げに行ったのは結局俺一人だった。
 ある時、事務所に呼び出され、「お前のマネージャーだよ」って一人の女性を紹介された。ようやく俺にマネージャーができたのかぁと喜んで、ルンルン気分で帰ったら、さっそく携帯電話に仕事の連絡があった。最近視聴率の良い、チャレンジ系の企画番組で、俺は「芸人ピアノ演奏」の枠に入れられていた。
 ああ、なるほど。だからマネージャーが。
 これからもしかして音楽系の仕事が増えるのだろうか。俺はピアノを捨てたんじゃなかったのか、でも、仕事をもらったからには全力で挑みたい。こんな狭い家で練習できない。近所にある音楽スタジオを調べて家を飛び出した。

 ピアノのある音楽スタジオのレンタルは他よりやや割高だった。貯金を切り崩し、何とか費用を捻出するとピアノの前に座り音を出す。ミー……。
 プロコフィエフの第二楽章を弾き始めて指を止めていた。ジムノペティのサティのような比較的ゆっくりとした音なら兎も角として、叩きつけるようなプロコフィエフの楽曲じゃ久しぶりすぎて指が上手く動かずにいたのだ。何とか一通りを弾き終えて、うまくいかない自分の動きに今すぐこの指を叩き切って、「すいません、切っちゃったんで演奏無理です」とへらへら言いに行ってやろうかと思ったほどだ。これじゃだめだ、折角のチャンスが。何とかしなくちゃ、何とか。
 昔から怒りを音に乗せてきた。今の俺の状態がそれこそ怒りじゃないか。親に落語家になることを反対されて海外の大学へ行き、卒業したのにピアノの腕が元で弟子入りを断られ、ようやく芸人に足を踏み入れたと思ったら相方が引退。やっと手に入れた仕事は俺を追い詰めたピアノの仕事だ。
 畜生、ルイ、お前は今何してる。CDショップに行けば、お前のCDが見つかるかもしれない。俺は日本に来てから怖くてお前のことを知りたくなくてCDショップに行ったことがないぞ。電子音楽も買ったことがない。怖くて怖くてエンタメ情報から目をそらしっぱなしだ。でもネタを作るために調べなくちゃならない。テレビでかかるCMソングもお前の作曲じゃなければいいと願いながら、この曲はお前の曲じゃないかと推察してる俺がいる。お前の曲はいつも繊細でなよなよしてる。悲劇的な曲は美しいが、荒々しいシーンに向かない。俺がしていたように、怒りを感じているか、怒りを鍵盤にぶつけているか?
 俺が居ない部屋で俺に向けた曲を作り続けているか? ざまあみろ!
「会いたい」
 知らない内に口を突いて出た。別れてから辛いことが多すぎる。いや、それまでが順風満帆だったからなのかもしれない。お前の繊細な曲が無性に恋しい。部屋を圧迫する大きな体が恋しい。俺を見つめるグリーンの瞳と、大きくて長い指。
 あっ、そうか、それを曲にすればいい。楽譜はないけど記憶すればいい。幸いなことに今は携帯が進歩しているから録音すればなんとかなる。叩きつけるような音じゃない。なんだこの切ない音は。お前のせいだルイ。

 音大卒だという女芸人には申し訳がなかったが、俺の演奏はそれなりに受けて、それなりに話題になったといってもいいだろう。演奏前に、まさか「映画の作曲で話題となったピアニストのルイポルト・ベルツと同室だった」と言われるとは思わなかったが、お陰で最初の入りだしがややずれた。まぁ、許容範囲内と言っておこう。
 番組での演奏はネットを介してたくさんの人に拡散された。若手お笑い芸人(元プロピアニスト)と嫌味込めたスレッドも建てられた。フォロワーも増えた。留学中の話も面白くできる土壌ができた。それは俺にとって行幸となった。
 おかげで少し忙しくなってきた。休日が少なくなり、四畳半の部屋が少し狭く思えてきた。ピアノのカバーを外し、溜まった埃を撫でとった。テレビに出てからお隣さんがやや優しくなった。「プロだったのね」って。
 もう一つ、番組後に事件が起きた。番組を放送した放送局に音源を取り寄せるための電話がかかってきたという。彼らは困った末に事務所に電話を回し、電話の相手の番号を俺に寄越した。
 貰った番号で国が判る。これは、――たぶん、ルイだ。
 事務所からしてみたら世界的な音楽家とのコネクションを面白がっているようだった。事務所の電話で向こうの電話にかけさせられ、出ないでくれと願いながら待った。今、午後四時だから 朝の九時か十時ごろ、起きてる。絶対に起きてる。
『Hello?』
 ドイツ語訛りの英語が受話器の向こうから聞こえてきた。
 あ、お、……オレオレ。日本語で言ってしまった。詐欺か。隣から声が飛んでくる。
 電話向こうの彼も驚いたのか声が出ずにいるようだった。今思えば、ルイポルト・ベルツさんですか? と日本語で聞いて、日本語はわからないといわせてやりゃあよかったんだが。
『久し振り――』
「あ、ひ、ひさし、久し振り」
 会話で使うドイツ語がなんだかおぼつかない。大学を卒業してからもう数年経つから忘れてしまうものなのかもしれない。鍵盤の弾き方と一緒に。
『今度、日本に行くんだ』
「え」
『会いたいと思って、連絡したんだ。本当は君の演奏の音源が欲しかっただけだったんだけど――、偶然、君の演奏を聞いてね。でも何と言っているのか日本語がわからなくて、――夢は叶ったのか?』
「あ、いや、まぁ、ぼちぼち……」
『君は曖昧な言い方をよくしてたな。まあいいや。東京にいるんだろう?』
「ああ」
『じゃあ、会おう。東京観光にも付き合ってくれると助かるよ。――連絡先は?』
 俺は自分の携帯番号を伝えた。お互い、なんで今まで連絡しなかったんだろうなと笑いあって、電話を切った。携帯のスケジュール表にルイがやってくる日と、彼が止まるホテルの近くにあるらしい目立つ場所を目印にして、俺はその日をただ待った。
 仕事をこなし、久し振りに会った時に「腕が鈍った」と言われないように練習しながら。

 その日はあっさりと来た。喧騒の中を掻い潜って彼に会う。待ち合わせ場所で腕時計を確認しながら待つドイツ人は直ぐ分った。若者は彼の横を横切っていくが、彼が世界で一番か二番目に稼ぐ音楽家だと知れば目の色を変えるだろう。
「久し振り」
 彼は俺に気づくと近づいて手を取った。大きく繊細な指に支えられた手の甲に軽くキスをする。フッと笑った彼は学生の頃とまた違う大人びた雰囲気と高級そうな黒いスーツとベージュのコートに身を包んでいた。今の俺では一生買うことができないような代物で、はにかんだ時に見える歯と合わせてとてもとてもまぶしい代物だ。
「君は変わらないな」
 彼は本当にそう思ったのだろう。進歩の無い俺の姿にクツクツ笑う。
「お前の劣化が早いだけだろう」
「そうかもな」
「この辺に泊まってるのか?」
「ああ、あそこのホテルなんだが――」
 彼が指さして見せのは東京を見下ろせるハイクラスのホテルだった。これぐらいの出費は当然だと納得する俺もいる。人混みを縫い、当たり前のようにホテルに入り、お帰りなさいませと挨拶するフロントから鍵を受取りスイートに向かう。それもまた当然。エレベーターに乗り込む人が少なくなれば会話をしなくて良いのか考えてしまうのは、俺が少なからず芸人である証拠なのだろうか。
「公演で来たのか?」
「いや……」
「契約で?」
「まぁ、そうだね」
「映画音楽の監修、やったらしいな。おめでとう」
「ありがとう。なぁ、どうして全ての連絡を断った?」
 芸人根性は長い長いエレベーターの道のりの中、ペシャンとつぶれた。落語家になれないと挫折したあの時、ピアノとは決別しようと決めた時を思い出して苦しくなる。
「……」
「今日も、来ないんじゃないかと思っていたよ」
「悪い」
 ルイは首を振った。
「僕は、君がピアノを捨てたんだと思った」
 実際そのとおりなのだけれど。
「偶然見つけたんだ。君が弾くピアノを」
 あのテレビ撮影の映像を言っているのだろう。俺がドイツでそうしていたように、誰かが誰かに共有し、それを彼も眺めたのだ。そして聞いたんだ。ドイツにいたころとは比べ物にならないほど小さなステージでピアノを弾く俺。生涯で作った二つ目の曲を聞いたんだ。エレベーターが開き、ここだよ。とスイートルームの扉を開け、俺を中へ招く。扉が総て閉まり切る前、壁際に追い詰められた。
 ルイの目には若い時に有る羨望入り混じる複雑な熱籠っている。
「一人であんなに美しい曲が作れるんだね。驚いたんだ。やっぱり君はピアニストになるべきだった」
「何とでも、言えよ」
「貶している訳じゃないんだ。自惚れじゃなければ、あれは僕への曲だと思ったんだ」
 言葉に詰まった俺を見た彼は当たり前のように口づけた。
「僕も、君を思わないと曲が浮かばない。新しいアルバムも、その前も、今作っている新曲も、総て、君の事を思いながら作っていたよ。今、君に会ってより思ったよ。僕の人生、これからも君に縛られて生きたいんだって。君は僕の世界から逃げ出したんだ。でももう逃がさない。だから日本に来たんだ」
 あのさぁ、俺もお前ももう三十近いんだけど。世界的権威のある音楽家が気楽に日本にきてどうするんだよ。大騒ぎになるだろうが。活躍は……できるかぁ、アメリカでの大きなプロジェクトも成功させたって言ってたし、俺が心配する事じゃない。でも、ねぇ、スイートルームってこんなに椅子必要?
 キングサイズのベッドに放り出されて、ただでさえ皺になりやすい服をくしゃくしゃにしながら剥いでいく。少し痩せたと鍵盤を弾く長い指が体を這い、彼は手に入れた最後の獲物に目を細める。お前は少し、男らしくなったな。

「半生を綴るなんて無理」
 世界的な音楽家がゲイの恋人を追いかけて日本移住というセンセーショナルなニュースが飛び交ってから数年後、俺は芸人としてはそれなりに売れて、というか、ドイツ人の作曲家の熱烈な愛の物語のほうに世間の興味があって、俺の露出が知らぬ内に増え、その内、「あれ、こいつ、トーク意外と面白いんじゃねぇ?」と認知して頂けたというか。
 恋人の方も日本という国に慣れ、音楽家としてのテレビ露出が増え、番組に二人揃って呼ばれることもあって、世間様の温かさを感じる日々というか。
 世間認知が増えると親戚も自然と増え、全く会話のなかったどころか、生きているか死んでいるかよくわからなかった親とも連絡を取り始めた。始めて姪と甥にもあった。ねぇ、いつの間にもう一人生んでたの?
 ルイは世界的な映画祭なんかに呼ばれ、音楽の仕事は言わずもがな順調で、同伴者として連れて行かれそうになったが丁寧に断った。
 俺の方は、落語の勉強が出来る機会をいただけた。といっても番組の企画の一端だったが、ちゃんとした落語家の師匠に師事して教えてもらう貴重な体験ができた。好きなことはとことんやる。演芸会場で披露した落語はいろんな人に褒められたりして、俺もちゃんと夢叶えたと言っていいだろう。
 ついでに、俺をモチーフにしたあの落語を作った師匠とも共演できる機会をいただけて。
「あんた、とっといてもよかったかなぁ」
 って笑いながら言われてそりゃあないよって思いながらも許せたが。
「書けない」
 今の俺はそんな奇妙な半生を綴ることに苦悩している。今出版する訳じゃない。ただ、死が近くなったときに、誰かに読んで笑ってもらえればと思って。
 共同執筆者であるルイは今までの人生をもうすでに綴ったらしく、余裕綽綽で次の映画のための作曲を始めている。俺がうんうん唸るのをちらと眺めてはクスクス笑って、満足しては五線譜に書き足していく。
「何を書いた?」
「君と出会ってから、今までの事を」
「そうだけど、そうじゃなくて、どんな感じで書いた?」
「『はじめて会った時は子供が名門に混ざったと思った』」
「ああ、じゃあ、『大男が部屋にいて、部屋が狭かった……』」
「『小さな体から奏でる雷のような演奏は僕にはできなかった』」
「えーっと『大きな体に見合わない、繊細な演奏で』――」
「『あの時から僕らは運命で引き寄せあっていたのだと今なら思う』――」
「それは嫌だから、『良きライバルとして互いに高めあって』……あのさぁ、お前の書く文章がフランス文学みたいに熱烈なのは考え物だと思うぞ。俺達そんなに熱烈な恋愛してたかなぁ。終わったの? 楽曲名? 春人はやめてくれよ。恥ずかしいよ。俺だって自分のネタに『ルイ』って付けないよ」

2016/02/14

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