二人女性、つまりGLページ開設の経緯について

 『マロングラッセと日向夏』は2013年5月20日、なまぬるい表現のBLサイトとして制作しました。私が元々BLを読む、かく人であった為と、女性としての抑圧と現実の恋愛表現に関して抱く冷めた目線が、恋愛作品の忌避に繋がります。
 現実の「将来結婚しなさい」というプレッシャーと、それに対する苛立ち、一方で理想のパートナーは欲しいという「夢」を何とか描きたいと思った時、自分を支えてくれたのは一部の耽美表現、そして、自分の性自認とは遠い「想像の男性同士の恋愛」だったのだろうと今振り返っています。

   2022年のエイプリルフール、“クィア・ベイティング”という問題があることを知りました。
 (FRONTROW『LGBTQ+を食い物にする「クィアベイティング」とは?』 URL:https://front-row.jp/_ct/17278815) 2021年のエイプリルフールはまさに、このクィア・ベイティング表現を自分がしてしまっていると思いました。
 そして、2022年のエイプリルフール表現は「とても下手くそ」で女性として受けた自分の確かな抑圧体験、その表現なのですが、それをエイプリルフールという「嘘の日」にしか描けないことに苛立ちを覚えました。
 そしてBLサイトという性質上、「女体化とかタグ付けしないといけないの? というか、ジェンダー(社会性)選択なら女体化じゃなくない?」といういろんな疑問が、「じゃあ、GLページを作ればよくない?」に繋がります。
 いろんな反省と、社会から抑圧を受けつつ、また自分も抑圧する側となり、誤った表現を残し続ける自分への怒りが根っこにあります。

 これは、自分が描き続けていた抑圧をクィア・ベイティングにしないために考えた言い訳の方法でもありますが、今後、「女の子の二人じゃないとできないカモな話題」(過去の作品だと、一般に販売されている女性向けの靴が小さいという事に悩む『大足』がそれに当たると思います)をもっと描きたいというある意味の決意でもあります。

 マロングラッセと日向夏の二人は、「どちらかが男でどちらかが女」「性自認を持たない」「無性」でも、過去から今まで「クリキはクリキ、日向夏は日向夏、補う二人」という思いで作品を作っている方が多かったので、実はあまり拘りのない部分です。(その辺が意識低いという問題でもありますが)

 これからもいろんな表現で間違えると思います。ブログにはかいたのですが、それでも、私は「かく」ことが多分好きなので、やめられないのではないかなと思うに至ります。
 誰も傷つけない表現は限りなく無い。と思いますが、それでも何か、できることはあるのではないかな。という一種の決意も込めて。

20220402 箱庭とび子

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